『静かなヒーローたち』という本を在米の友人から送っていただいて読みました。副題に「一世紀にもわたって、日本と日系人をたすけてくれたアメリカ人クエーカーたちの愛の記録」とあります。
先の大戦のとき、米国では日系人たちは敵性人種であるとして、強制収容所に収監されました。古代エジプトのファラオが、多くなったヘブル人が王朝にそむくのではないかと恐れたのと同じ現象です。
日系人が白眼視される状況下、これまで親しくしてくれていた人々も彼らから離れていくのですが、そのようなとき、収容所へと運ばれる日系人に変わることのない愛の実践をした人々がクエーカーたちだったそうです。その愛の源泉はなんだったのだろう、と考えされられます。他にもバプテスト教会などで、そういう実践をしたキリスト者たちがいなかったわけではないけれども、格別クエーカーの人々だったというのです。
米国の教会は、国教会ではなく、国家からの自由という意味で自由教会ですけれども、それでも国家との何らかのつながりのある「市民宗教化」した体制教会のありかたは、だめなんじゃないか、と思わせられることです。
この世の国籍を超えて、「私たちの国籍は天にあります」という告白を中身のあるものにしていくことが、主イエスが私たちに求めておられることだと思います。「われは聖なる公同の教会を信ず」