苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

キリストのからだのために

使徒21:1−16
小海キリスト教主日礼拝説教

<旅程> エルサレムへと向かうパウロの旅程を、きょうもあからじめ確認しておきましょう。ミレトで訣別説教をして、パウロは船でコスに直行し、翌日ロドス島、そしてパタラにつき、そこでフェニキヤ行きの船に乗りこみます。フェニキヤとは、ガリラヤ地方の北方の海沿いの地域です。そのフェニキヤ地方の海に面する都市がツロ(ティルス)です。今日の一つ目の舞台は、このツロです。
 このツロで七日間の滞在の後、パウロは船に乗ってトレマイについて一泊、翌日、カイザリアに到着します。このカイザリヤから目的地エルサレムまでは陸路60キロほどです。

   (図版は「目から鱗 使徒パウロの生涯」より)

1. エルサレム訪問の目的

 パウロエルサレム訪問を終えたならば、その先にローマやイスパニアまで福音を伝えに行きたいという志を抱いていました。けれども、その前になんとしてもエルサレムに行かねばならないと考えていました。エルサレムユダヤ教の総本山ですから、そこには裏切り者パウロを見つけたらすぐにも殺してやりたいとはらわたを煮え繰り返している人々がいたのです。それは重々承知の上で、どうしてもパウロエルサレムに行かねばならないと考えていたのでした。
 パウロエルサレム訪問の目的は二つありました。ひとつは、エルサレム教会に対して小アジア半島とマケドニア半島諸地方から、弾圧下で信仰の戦いをしているエルサレム教会に義捐金を届けることでした。そのあたりの事情が、ローマ書の終わりのほうに書いてあります。(ローマ15:25−28)
 パウロエルサレム訪問のもう一つの目的は、ユダヤキリスト教会と異邦人キリスト教会の一致のためでした。このあとローマに、さらにイスパニアへと異邦人伝道を展開し異邦人教会が形成されていくとき、その教会がパウロが勝手につくった異邦人の教会ではなく、エルサレム教会とちゃんとつながりのある教会として認知されるためでした。教会が異邦人もユダヤ人もひとつの群れとして歩んでいくことができるために、パウロは身の危険を犯してでも、とにかく当時のセンターチャーチであったエルサレム教会に宣教報告をする必要があったのです。もしエルサレム教会との一致がはかれないならば、自分の西方への宣教はここで終わってしまってもよいのだ、というほどの認識をパウロは抱いていたということがわかります。
 私たちは、今朝、使徒信条において「われは聖なる公同の教会を信ず」と告白しました。私たちはプロテスタント教会のひとつである日本同盟基督教団に所属している群れです。プロテスタント教会の長所は、なによりも聖書を唯一絶対の権威としている点であり、それゆえ私たちは毎週毎週主の日の礼拝では、聖書のみことばが解き明かされています。私も、牧師として、みことばに忠実でありたいと願っています。ですが、プロテスタント教会の弱点は、「聖なる公同の教会」という認識が希薄であるということだと思います。プロテスタントは、なんでも自分の教会で決めたとおり、思い通りにしたいというわがままに陥りがちです。教会の自律という理念を盾として、他の地域教会のことなど眼中にないという動きをしてしまいがちです。一地域教会は、世界に広がる聖なる公同教会のひとえだであることを忘れないことが大事です。
 先日、川上村の歯医者さん井出求義さんのお葬式をしましたが、そのとき求義さんの三男の井出和男さんが、その葬式の説教で悔い改めてイエス様を信じて救われました。和男さんは、川崎市に住んでいて、近くの教会を紹介してくださいとおっしゃったので、川崎教会と牧師を紹介しました。和男さんは明確に回心して、教会生活と聖書通読をはじめ、あちらの牧師さんの導きを受けて12月19日クリスマス礼拝に洗礼を受けることになりました、と報告をいただきました。すばらしいことではありませんか。他の地域教会の祝福は、わが教会の祝福であり、他の地域教会の苦難をわが苦難として受けとめ祈るものでありたいものです。

2. 諸教会との交わり

 あちらこちらに散らばっていても、一つの神の家族、ひとつのキリストのからだです。そういうわけですから、パウロは行く先々で兄弟姉妹を訪ね、また彼らもパウロをねんごろにもてなし、また熱心に祈ったのです。そのありさまはなんと麗しいことでしょうか。
 パウロ一行はツロに到着すると、すぐに主イエスの弟子たちを捜し出しました。そして、そこに七日間滞在します。(21:3,4a)
 「弟子たちを見つけ出した」と訳されていますが、このことばは普通に見つけるというより、見つけるに強調語がくっつているので、「捜し出す」というほうがよいでしょう。当時は礼拝堂専用の建物も電話帳もインターネットもないのですから、一つの町に行ってクリスチャンたちを見つけるのはそんなに簡単なことではありませんでした。一生懸命捜してやっと見つけたのです。
 ツロの主にある兄弟姉妹たちは、パウロにあってどれほど喜んだことでしょう。パウロのことが他人事とは思えません。御霊に知らされて、エルサレムではパウロが危険な目にあうことがわかっていましたから、しきりに思いとどまるようにと忠告しました。
 それでもパウロの決心は揺るぎませんでしたから、結局ツロの兄弟姉妹たちは一生懸命にパウロ先生のいのちが守られるように、使命が果たせるようにと祈りました。ツロの港に、兄弟たちは妻や子どもまでもつれてきて、そう、家族総出でパウロを見送りに来て、一生懸命にひざまずいて祈ったのです。(21:5,6)
 まあ、なんと愛に満ちた交わりではありませんか。ほんの一週間前に突然訪れたパウロ一行を迎え、ともに礼拝をささげたのです。ともにみことばに聴き、神のみこころをさとったお互いです。主にある交わりはこんなにも暖かい、愛に満ちたものです。
 ある東京の教会の牧師さんが、「こんなことは現代日本ではありえないようなことですが・・・」と本の中に書いていらっしゃいました。ですが、そんなことはありません。たしかに日本人は三国志風にいえば「水魚の交わり」と言って、慣れ親しんだ間柄でも、べたべたとした交わりではなく、さらさらとした少し距離をとった交わりを好みます。親しき仲に礼儀ありということを重んじる恥ずかしがりの面があります。けれども、それでも主にある兄弟姉妹ならではの愛の交わりのなかに生かされて来ました。私の学生時代の先輩の橋本さん夫婦は、この地に開拓伝道が始まって以来、毎月毎月支援の祈りとささげものをもって伝道を支えてきてくださいました。病身の母を連れて北海道を訪れたときには、仕事の休みをとって車の後ろに布団を敷いて母を観光に連れて回ってくださいました。その一ヵ月後、母は天に召されましたが、ほんとうによい思い出になりました。そのときまで、私の母のことを橋本さん夫妻は一面識もなかったのです。けれども、一面識もなくても、主にある兄弟姉妹であったのです。「わたしと福音のために家、兄弟、父、母、子を捨てるものは、この世でその百倍を受ける」と主イエスが言われたのは、真実です。顔を見交わしたことがなくても、教会はひとつのキリストのからだ、公同の教会に属するお互いなのです。


3.顔をエルサレムに向けて

 ツロのあと、パウロの滞在先はいよいよカイザリヤです。ここにはエルサレム教会の七執事の一人伝道者ピリポの家があって、一行はそこに滞在させてもらいます。ここでもやはり主のみことばのために奉仕をする旅人をもてなす、初代教会の兄弟姉妹の愛の実践の様子を見ることができます。初代教会では、巡回伝道者たち「旅人をもてなす」ことはたいせつな兄弟愛の実践とされていました。長老の要件のひとつは「よくもてなし」ということでした(1テモテ3:2)。また、イエス様も最後の審判のときに、神に祝福されて天国に入る人たちが、次のように言われるとおっしゃったのは、そういう時代的文脈のなかのことです。(マタイ25:34−36)
 ところで、このカイザリヤでもパウロは不吉な預言を、今度は実演つきでアガボから聴かされます。このアガボはいつも悪いことの預言をします。(21:10−11)
 それで、カイザリヤ教会の兄弟姉妹ばかりでなく、「私たち」と書かれているルカたち、パウロの同行者たちまでも、パウロをなんとか危険なエルサレムに行かせまいとして、かきくどいたのです(12節)。しかし、パウロの決意は固いものでした。(13,14節)
 使徒パウロとしては、先に説明したように、今後のローマ、イスパニアへの宣教によって形成される諸教会が、エルサレムユダヤ人の教会とひとつの群れ、聖なる公同の教会として形成されることが、絶対に必要なことであると確信していました。ですから、文字通り命がけでエルサレム教会に行こうとしていたのです。そのパウロの姿は、辱めの十字架の死が待つエルサレムに顔を向けて前進して行く主イエスの姿と重なって見えてきます。
 主イエスがご自分がエルサレムで受難し、よみがえることを予告なさったとき、弟子たちは恐れました、また、ペテロはとんでもないと主イエスを諫めたこともありました。それでも主イエスは、父の御旨にしたがって、エルサレムに顔を向けて進んで行きました。
 たしかに御霊は各地の教会の兄弟姉妹や預言者パウロエルサレムで捕縛されると告げていました。考えようによっては、パウロはそういう主にある兄弟姉妹からの御霊による警告を無視したのは、よくないという見方もあるでしょう。しかし、御霊はエルサレムへ行くなと告げていたわけではありません。ただパウロエルサレムへ行くならば、縄目にあうと警告していたにすぎません。その警告を受けて、兄弟姉妹はパウロエルサレム行きに反対し、パウロはその警告を受けて身の危険、いのちの危険を覚悟の上でエルサレムに行くのです。
 パウロは(コロサイ1:24)とあるように、キリストのみからだである教会のために、その苦しみの欠けた所をわが身をもって補おうとしていたのでした。キリストの御足のあとに従って行こうとしていたのです。

結び
 小なりとはいえ、私どもも「聖なる公同の教会」の一員として召されたお互いです。信州は南佐久郡という地域にあって、宣教の使命をになっています。ですが、畑は世界であり、私たちは世界にひろがる公同教会の一員として、この地で宣教の任務を負っているのです。視点を高く、視野をひろくもちましょう。
 そして、私たちもキリストのからだのために、身をもってその苦しみの欠けた部分を補う、そういう生き方をしたいものです。