苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

平和的生存権には具体的権利性がある・・・名古屋高裁で確定

 松坂市市長の中山光茂市長がいう「平和的生存権」というのは、名古屋高裁が2008年に出した確定した判決文の中で、その具体的権利性を認められたものなのだそうである。中山氏は、これを根拠として訴えを起こしたのだろう。希望が見えてきた。


判決:2008年4月17日・確定:2008年5月2日

「現代において憲法の保障する基本的人権が平和の基盤なしに存立し得ないことからして、全ての基本的人権の基礎にあってその享有を可能ならしめる 基底的権利であるということができ、単に憲法の基本的精神や理念を表明したに留まるものではない。法規範性を有するというべき憲法前文が「平和のうちに生 存する権利を」を明言している上に、憲法9条が国の行為の側から客観的制度として戦争放棄や戦力不保持を規定し、さらに、人格権を規定する憲法13条をは じめ、憲法第3章が個別的な基本的人権を規定していることからすれば、平和的生存権は、憲法上の法的な権利として認められるべきである。」

次に、裁判規範性(具体的権利性)について。
「そして、この平和的生存権は、局面に応じて自由権的、社会権的又は参政権的な態様をもって表れる複合的な権利ということができ、裁判所に対して その保護・救済を求め法的措置の発動を請求し得るという意味における具体的権利性が肯定される場合があるということができる。例えば、憲法9条に違反する 国の行為、すなわち戦争の遂行、武力の行使等や、戦争の準備行為等によって、個人の生命、自由が侵害され又は侵害の危機にさらされ、あるいは、現実的な戦 争等による被害や恐怖にさらされるような場合、また、憲法9条に違反する戦争の遂行等への加担・協力を強制されるような場合には、平和的生存権の主として 自由権的な態様の表れとして、裁判所に対し当該違憲行為の差止請求や損害賠償請求等の方法により救済を求めることができる場合があると解することができ、 その限りでは平和的生存権に具体的権利性がある。」

そして、国側の主張である否定説を批判。
「なお、「平和」が抽象的概念であることや、平和の到達点及び達成する手段・方法も多岐多様であること等を根拠に、平和的生存権の権利性や、具体 的権利性の可能性を否定する見解があるが、憲法上の概念はおよそ抽象的なものであって、解釈によってそれが充填されていくものであること、例えば「自由」 や「平等」ですら、その達成手段や方法は多岐多様というべきであることからすれば、ひとり平和的生存権のみ、平和概念の抽象性等のためにその法的権利性や 具体的権利性の可能性が否定されなければならない理由はないというべきである。」