苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

生ける神を知る喜び

  8:8彼らはその書、すなわち神の律法をめいりょうに読み、その意味を解き明かしてその読むところを悟らせた。
8:9総督であるネヘミヤと、祭司であり、学者であるエズラと、民を教えるレビびとたちはすべての民に向かって「この日はあなたがたの神、主の聖なる日です。嘆いたり、泣いたりしてはならない」と言った。すべての民が律法の言葉を聞いて泣いたからである。 8:10そして彼らに言った、「あなたがたは去って、肥えたものを食べ、甘いものを飲みなさい。その備えのないものには分けてやりなさい。この日はわれわれの主の聖なる日です。憂えてはならない。主を喜ぶことはあなたがたの力です」。 8:11レビびともまたすべての民を静めて、「泣くことをやめなさい。この日は聖なる日です。憂えてはならない」と言った。 8:12すべての民は去って食い飲みし、また分け与えて、大いに喜んだ。これは彼らが読み聞かされた言葉を悟ったからである。 (ネヘミヤ8:9−12)


 律法を聞かされ、それを説き明かされて、民は喜んだ。このあと、数百年ぶりで彼らは仮庵の祭りを行ない、また喜びを経験した。先祖たちが出エジプト、律法拝受、そして約束の地に入ったというあの歴史上の経験を、今、ここで追体験しているという喜びであろう。先祖たちを導かれた神は、われわれを今導いてくださるというその喜びである。昔話のようにして聞いてはいたけれど、ほんとうは知らなかった生ける神を知ったという喜びである。