苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

いけにえには あわれみを

マタイ9:9-13

1.主の召しのことばの力

9:9 イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。

(1) 取税人

 今日の個所に登場するのは、このマタイの福音書を記した人マタイその人です。マタイは収税所に座っていたと自己紹介しています。税務署の役人というのは、現代の日本でもけむたがられがちな職業ですけれども、イエス様の当時のユダヤ人の間では格別の意味で、人々から嫌われ、軽蔑までもされていた職業でした。多くの方はご存知の事情ですが、あらためて説明をしておきましょう。
 当時、イスラエルの国はローマ帝国の属州という立場にありました。植民地というと完全に主権のない状態なのでしょうが、属州はある程度の自治は認められていましたから、サンヒドリンというユダヤ人の議会もありました。けれども、その上にはローマの傀儡政権であるヘロデ王家があり、さらに最高権力者としてローマから派遣された総督がおりました。当然、ユダヤ人たちは彼らローマ政府を憎んでいたわけです。自分たちがローマ帝国支配下に置かれているということを実感させられるのは、ローマ政府に対して税金を搾り取られるということです。アメリカ合衆国の東部13州が独立戦争を起こした動機は、彼らから英国議会に代表は送れないままにしておいて、英国政府が彼らに重税を課してきたことに対する反抗ということでした。ローマの都の繁栄は、植民地人・属州民からしぼりとられた税収によることであり、イスラエルの人々は税金を取られるたびに、ローマに対する憎しみを深くしたわけです。税金のうらみはおそろしい。
 ローマは、そういう属州民からの憎しみをそらし、かつ、経済的合理的に徴税をするために、取税人を現地人による請負制としました。ローマ人の徴税役人を現地に派遣すれば、それだけの費用が相当にかさみますから、現地人から取税人を募集しました。しかも、彼らの収入はローマに納税しなければならない額にそれぞれ上乗せした分をピンはねすることによって得るという仕組みであったそうです。
 そんなわけで、当時のイスラエルでは、ローマの犬になって同胞から金を搾り取る取税人というものは、カネのために魂を売った守銭奴かつ売国奴とみなされていたわけです。しかし、マタイは現に、その取税人という職業についていたわけです。彼が「俺は、神様の前に恥ずべき罪人である」と思っていたことは間違いありません。
 

(2)「わたしについて来なさい」

 そういう取税人をあからさまに軽蔑し、罵倒していたのは、ラビと呼ばれる律法の先生たちでした。とくにパリサイ派の先生たちは反ローマ的な国粋主義者でしたから、神の民イスラエルローマ帝国に税金を納めること自体が罪にあたるという教説を唱えたりもしていましたので、ローマの徴税の手伝いをする取税人などというものは、唾棄すべき職業であるとみなしていました。
 マタイが収税所に座っておりますと、イエス様と弟子たちがそこを通りかかりました。取税人マタイは、『ああ、また律法の先生がやってきた。どんないやみを言われるだろう。憎憎しげににらまれるだろう。侮辱されるだろう。』と心につぶやいて、目を合わせないようにうつむいていたことでしょう。『さっさと通り過ぎて行ってくれ』という思いにちがいありません。
 ところが、その人は、マタイの前に通りかかると、ぴたっと立ち止まったのです。「あ〜いやだなあ。この方は、俺になにをいうのだろう。」とマタイは思いました。ところが、マタイの耳にびっくりする言葉が飛び込んできました。
「わたしについて来なさい。」これは、「君は弟子合格だ。君をわたしの弟子に取り立てよう。」という意味の当時の表現でした。
 このことばを聞いたとたん、取税人マタイの内側に何か新しい出来事が起こりました。そして、マタイは「はい!」と立ち上がって、イエスに従うことにしたのです。不思議な光景です。そこにいた弟子たちも、取税人仲間も、他の人々もほんとうにびっくり仰天しました。これはマタイの心のうちに、主イエスのことばが起こした奇跡でした。創世記一章に、神が闇に向かって「光よあれ」とおっしゃると、そこに光があったとあるように、主のことばは闇のなかに光を創造なさる力があるのです。罪と劣等感とに満ちていたマタイの心のなかに、「わたしについて来なさい」という主イエスのことばは新しい光といのちと喜びと、主に従っていくという決断とを創造したのです。
 


2.変えられた取税人マタイ


  9:10 イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。


 マタイは新しくされました。そして、これからは弟子として地の果てまでもイエスさまについていくという決心をしたのです。この門出にあたって、マタイは仲間を集めて宴会を開きました。仲間たちというのは、取税人仲間、ごろつき、遊女といった人たち、つまり、当時の社会で罪人として軽蔑されていた人たちです。そこに、イエス様と弟子たちも招かれて食卓をいっしょに囲んでいます。
 ご馳走が振舞われて、わいわいがやがやと楽しげな宴席です。「やあ、驚いたね、取税人マタイが、これからはイエスさんの弟子になろうとはねえ。」と、その話題で当然もちきりです。宴もたけなわというときに、マタイは立ち上がって、自分がイエス様に出会ったこと、彼のうちに突然起こった心境の変化、これからはイエス様にどこまでもついていく所存であることなどを、証したことでしょう。いつもは神様のことばを聞く機会もない罪人たちですが、今日は、しんとなって聞いているわけです。
 その話を聞いて、取税人仲間のひとりは、
 「確かにマタイは変わったなあ。・・・俺のようなはぐれ者、嫌われ者でも、神は愛してくださるんだろうかねえ。」と言ったり、貧しさから遊女に身を落としていた女のひとりは
「そんなこと、思いもしなかったわ。律法の先生たちは、あたいらみたいなのは地獄行きだといつも言っているものねえ。」
 イエス様がにこにことしていて、いつもは取税人たちと食事などいっしょにすることのない弟子たちは、最初は抵抗を感じてどきどきしていたのでしょうが、内側から湧き上がる神の国の食卓の喜びを感じていました。イエス様がそこにいらっしゃるならば、罪人が集まった食卓も、おのずときよくなって、暗闇も光となってしまうのです。
 宗教改革者も指摘するように、これは聖餐式のひとつの型ですね。


3.罪人を招くために


 しかし、この喜びの宴席に水を差す人々がいました。最近話題になっているイエス様の周辺をかぎまわっていたパリサイ人たちです。彼らは、イエス様と弟子たちが取税人マタイの家にはいったのを目ざとくチェックしていました。そうして、窓の外からでしょうか、中庭の入り口からでしょうか、とにかく宴会の様子を見ていました。そして、次のようにいいました。

9:11 すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」


 当時、神の民であるユダヤ人たちは外国人と食事をしてはならない、取税人罪人といっしょに食事をしてはならないとされていました。それが常識でした。まして、聖書の教師である者が、取税人たちと食事をともにするなどもってのほかとされていたのです。ところが、イエス様はマタイに招かれると弟子たちまでつれてすたすたとその屋敷に入っていき、食卓をいっしょに囲んでいたわけです。そして、宴会はいかにも楽しげで、イエス様も弟子たちも取税人もごろつきも遊女たちも、一緒に飲み食いしているのです。けれども、「私たちも仲間に入れてくれ」とパリサイ人たちは思いませんでした。逆に、とんでもないことだと怒ったのです。

 するとイエス様は、実に見事に彼らにお答えになります。

9:12 「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。 9:13 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」

 聞いてみれば、まったく道理にかなったおことばではありませんか。「医者を必要とするのは確かに健康な人でなく病人です。」イエス様は医者として罪の病の中にある取税人、罪人たちを癒すためにやってきているのは当然のことです。
 「わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない」というのは旧約聖書ホセア書6章6節のことばです。

6:6 わたしは誠実を喜ぶが、
  いけにえは喜ばない。
  全焼のいけにえより、
  むしろ神を知ることを喜ぶ。

新改訳で「誠実」と訳されているヘブル語はヘセドといって、誠実とも憐れみとも親切とも訳されることばです。「いけにえ」というのは儀式律法に定められた犠牲のことです。このことばだけ読むと、神様はいけにえを否定しているように見えますが、これはヘブル的な表現にありがちなことで、普通の日本語でいえば、<神様は、誠実・あわれみをともなわないいけにえは喜ばない>という意味です。(詩篇51:16-19参照)
レビ記には儀式律法が定められていて、それ自体旧約時代にはたいせつなものでしたが、イスラエルは王国時代になると、その儀式が形骸化したものとなってきました。社会では貧富の格差が拡大し、孤児ややもめといった弱い立場の人々の訴えはとりあげられず、福祉政策はないがしろにされ、王や役人たちは賄賂をとって金持ちにばかり都合のよいさばきや政策をしていました。さらに、本来ならば、神のことばをもって王を戒めるべき祭司たちは、王のご機嫌を取ることに終始して、神殿の儀式ばかりは荘厳におこなっていました。そういう時代背景のなかで、「わたしはあわれみは好むがいけにえは好まない」と主なる神がお怒りになったのです。あわれみ、つまり、社会正義、誠実といったことをないがしろにして、形式的に立派な荘厳な儀式をしていけにえを捧げても、神様はそんな礼拝を喜んでくださらないのです。
 イエス様の時代も同じく、祭司たち、律法学者パリサイ人たちは、神様のことばを厳密・厳格に守っているつもりの人たちでした。けれども、取税人とか遊女に身を落とした人たちは切って捨ててしまいました。・・・当時の道徳的に厳格なユダヤ社会のなかで、誰が好き好んで取税人や遊女になるでしょう。きっと、どうしようもない貧困のどん底、家族の事情があって取税人になってしまったり、飢えて一家もろとも死んでしまうよりは、と親が泣く泣く娘を女郎に出したりしたということでしょう。そういうかわいそうな境遇から苦界に落ちた彼らに、神の憐れみを伝えもせずに切り捨てて、自分たちは立派に宗教生活を送っていますという君たちは、主のみこころから遠く離れているんだ、」とイエス様は嘆かれるのです。そして彼らが大事にしている聖書から「わたしはあわれみは好むがいけにえは好まない」という言葉を学んで出直してきなさい、というわけです。
 そして、主イエスはおっしゃいます。「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」。


むすび

 今日、私たちは主イエスの食卓、聖餐にあずかろうとしています。聖餐は単なる形式ではありません。聖餐には、主イエスの罪人に対するあわれみが現されています。私たちは罪ある者ですが、主は罪ある私たちを救うために、ご自分のいのちを十字架の上に犠牲としてささげてくださいました。私たちは、主イエスのあわれみのゆえに、罪を赦されてあがなわれたのです。
 ですから、私たちもまた、主イエスのあわれみを受けた者として、心から感謝し、かつ、お互いにゆるし合いの心をもって聖餐にあずかりましょう。そして、自分の生活のなかに、神様の憐れみ、誠実が実現していくようにと決意するときでありましょう。