苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ソロモン(3)  神殿奉献の祈り

 主は父ダビデに約束されたとおり(サムエル記下7章)、息子ソロモンにエルサレム神殿建設を許された。ソロモンは知恵と政治力と財力をもって壮麗な神殿を建立し、祭司たちが契約の箱を至聖所に運び込むと、かつてシナイ山のふもとでモーセが神の幕屋を建設し終えたときと同じように、そこには主の栄光の雲が満ちた(列王記上8:10)。主が神殿を祝福され、ここを御住まいとされたしるしだった。
 ソロモンは奉献の祈りのなかで注目すべきことをいくつか語っている。

 第一点

しかし神は、はたして地上に住まわれるでしょうか。見よ、天も、いと高き天もあなたをいれることはできません。ましてわたしの建てたこの宮はなおさらです。(1列王記8:27)

 ソロモンはまばゆいばかりの神殿を奉献し、そこに主の臨在の現われを見ながらも、主なる神がこの人間の手で作った神殿に閉じ込められ、人間に利用されるようなちっぽけなお方ではないことを認識していた。いや天でさえも神の被造物にすぎないことを思えば、神はその天よりも大いなるお方であるという正確な認識をもっていた。主はそれほどに偉大な無限のお方であるが、有限な人間に合わせて、神殿にご臨在をあらわしてくださったのだという大事なことを理解していた。



 第二点

8:41またあなたの民イスラエルの者でなく、あなたの名のために遠い国から来る異邦人が、 8:42――それは彼らがあなたの大いなる名と、強い手と、伸べた腕とについて聞き及ぶからです、――もしきて、この宮に向かって祈るならば、 8:43あなたは、あなたのすみかである天で聞き、すべて異邦人があなたに呼び求めることをかなえさせてください。そうすれば、地のすべての民は、あなたの民イスラエルのように、あなたの名を知り、あなたを恐れ、またわたしが建てたこの宮があなたの名によって呼ばれることを知るにいたるでしょう。(同8:41−43)

 主なる神が万物の主であることを明確に認識していたソロモンは、イスラエルの神が、イスラエルの民だけの神ではなく、世界中の異邦人にとっても神であることをも認識していた。


 第三点

8:46彼らがあなたに対して罪を犯すことがあって、――人は罪を犯さない者はないのです、――あなたが彼らを怒り、彼らを敵にわたし、敵が彼らを捕虜として遠近にかかわらず、敵の地に引いて行く時、 8:47もし彼らが捕われていった地で、みずから省みて悔い、自分を捕えていった者の地で、あなたに願い、『われわれは罪を犯しました、そむいて悪を行いました』と言い、 8:48自分を捕えていった敵の地で、心をつくし、精神をつくしてあなたに立ち返り、あなたが彼らの先祖に与えられた地、あなたが選ばれた町、わたしがあなたの名のために建てた宮の方に向かって、あなたに祈るならば、 8:49あなたのすみかである天で、彼らの祈と願いを聞いて、彼らを助け、 8:50あなたの民が、あなたに対して犯した罪と、あなたに対して行ったすべてのあやまちをゆるし、彼らを捕えていった者の前で、彼らにあわれみを得させ、その人々が彼らをあわれむようにしてください。(同8:46−50)

 ソロモンは後の日に民が神に罪を犯した結果、神の怒りをこうむってバビロン捕囚が起こることをも予見していた。だが、その罪の種を彼自身が蒔くことになろうとは、なんと残念なことか。
 ソロモンは実に知恵に満ちていた。主は私の羊飼いというようなダビデの素朴な神認識とはちがって、真理をきわめるような哲学的/神学的な神認識だった。だが、ソロモンには欠けたものがあった。それは主に対する単純な誠実ということだったのではないか。