苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ジョン・ヤング『徒歩で中国へ―古代アジアの伝道記録―』

 上京する用事があって、新幹線の車中なにを読もうかなと本棚を物色したら、しばらく前に入手しながらちゃんと読んでいなかった『徒歩で中国へ』を見つけ、往復の車中で読み通した。内容は、古代教会がエペソ公会議(431年)で異端として退けたいわゆるネストリウス派キリスト教の中東・西アジアの伝道の歴史とその教えにかんすることである。アウトラインの紹介。

1.アンテオケ〜シリヤ〜ペルシャ〜モンゴル〜中国北部に達した宣教師たちの足取り。
 エルサレムから発した世界宣教の波紋は西方ばかりでなく、当然、東方にも向かった。だが、私たちはそれをほとんど知らず、無視したままだった。
2.5世紀のキリスト論論争の概観。ネストリウス主義という名で異端とされた教理は、ネストリウスその人の教えでも、ネストリウス派と呼ばれていた人々の教えでもない。ネストリウスが異端とされたのは政治的な理由であった。ネストリウスとネストリウス派は根拠のない汚名を着せられたのである。
3.ネストリウス派の宣教師たちが中国にもたらした教え、景教は、伝道と実践を重んじるアンテオケ型の正統的なキリスト教であった。この事実は二十世紀になって発見された中国の景教文書(中国語のもの十、シリア語のもの二つ)によって実証される。
4.ネストリウス派キリスト教は相当に栄えた時代がある。たとえばモンゴル帝国で。しかし、その後ネストリウス派の正統的キリスト教は、なぜほとんど東方で滅びてしまったのか。外的な理由としては、権力者による激しい弾圧がある。内的理由は、中国の習俗に対する過度のコンテクスチュアリゼーション、妥協である。

 著者ジョン・M・L・ヤングはかつて日本基督神学校(東京基督神学校)の教師だった。