ダビデは人をつかわしてその女のことを探らせたが、ある人は言った、「これはエリアムの娘で、ヘテびとウリヤの妻バテシバではありませんか」。
(サムエル記下11章3節)マアカ出身のアハスバイの子エリペレテ。ギロ出身のアヒトペルの子エリアム。 (サムエル記下23章34節)
劉備に仕えた諸葛孔明、信玄に仕えた山本勘助のような軍師、それがギロ人アヒトフェルだった。「そのころアヒトペルが授ける計りごとは人が神のみ告げを伺うようであった。」(サムエル記下16:23)彼は長くダビデに仕える者だった。ダビデに反旗を翻したアブシャロムは、すぐにアヒトフェルを呼び寄せて自分の軍師として取り立てており、ダビデもまたアヒトフェルの助言を息子アブシャロムが取り上げるか否かに今回のクーデターの成否ポイントとして認識している。アヒトフェルはそれほどの知恵者であった。
しかし、アブシャロムは愚かにも、アヒトフェルの進言を退け、ダビデが送り込んだアルキ人フシャイの進言を採り上げた。アヒトフェルは自分に一万二千の手勢を任せてくだされば直ちに出撃・捜索して、野に潜むダビデ王ひとりを討ちましょうという地味なものだった。だが、フシャイはアブシャロム王が先頭に立って圧倒的兵力をもってダビデとその一党を殲滅すべしという華々しい作戦で、アブシャロムの虚栄心をくすぐった。・・・アブシャロムがアヒトフェルの進言を退けたのは、主のご計画であった。
アヒトフェルは自分のことばが採り上げられなかったのを見て、この一局はすでに詰んだことを悟り、自ら縊れて果てた。
アヒトフェルがダビデを捨ててアブシャロムに走ったのは、アブシャロムの資質はダビデをも凌ぐ可能性があると見ていたからだろう。アヒトフェルがすでにダビデに失望し・軽蔑し・恨みをいだくようになっていたのには、わけがあった。ダビデが手をつけた美女バテシェバは、アヒトフェルの孫娘だったのだ。アヒトフェルがダビデを裏切るまえに、ダビデがアヒトフェルの信頼を裏切っていたのである。
屋上から見かけたひとりの女に手をつけることなど、王である自分にとって小さなことだと、ダビデは思い上がっていたのだろう。彼はすでに何人もの妻を持っていた。・・・だが、まさにマッチ一本火事の元だった。