苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

神戸でJEA総会そして豊かなおまけ


 日本福音同盟(JEA)の総会に出席するために、故郷の神戸に出かけてきた。私はこの種の会議が苦手なのだが、今回はとても収穫が多いときだった。忘れてしまわないうちにメモしておきたい。ただし聞いたことを私は書きとめておかなかったので、ここに書くことは話された正確な内容ではなく、単に私にとって印象深いことのメモにすぎない。

1.まず開会礼拝で安藤理事長が、「私はもともとノンポリなのですが・・・」と前置きをしながら、日本国憲法改正の動きの危険性について警告を発し、また、東日本大震災とさらに今後起こるであろう震災、終末的状況のなかで教会がどのように主に託された務めを果たすかといったことを話された。

2:1そこで、まず第一に勧める。すべての人のために、王たちと上に立っているすべての人々のために、願いと、祈と、とりなしと、感謝とをささげなさい。 2:2それはわたしたちが、安らかで静かな一生を、真に信心深くまた謹厳に過ごすためである。 2:3これは、わたしたちの救主である神のみまえに良いことであり、また、みこころにかなうことである。(1テモテ2:1−3)

2.二日目賀川督明氏の講演があった。淡々とした語り口調で2時間を超える講演で、前夜、十分眠れなかったこともあって、初めは眠気を誘われてしまったのだが、段々とその話の内容にぐいぐいと引き込まれてしまった。前半は賀川豊彦のイエス団の働きに関すること。賀川という人物の足跡をたどると、これは到底ひとりの人がなしえたことではないと思えてしまう。ひとりで何十人分の主のための働きをした人だった。ここではウィキペディアを少しばかり引用しておこう。

賀川 豊彦(かがわ とよひこ、旧字体:豐彥、1888年明治21年)7月10日 - 1960年(昭和35年)4月23日)は、大正・昭和期のキリスト教社会運動家、社会改良家。戦前日本の労働運動、農民運動、無産政党運動、生活協同組合運動において、重要な役割を担った人物。日本農民組合創設者。「イエス団」創始者キリスト教における博愛の精神を実践した「貧民街の聖者」として日本以上に世界的な知名度が高い。茅ヶ崎の平和学園の創始者である。

 賀川豊彦はまた文学者としてノーベル文学賞候補に二度、社会活動家としてノーベル平和賞に一度推挙されたこともあった。

 印象深かったことは多いが、なかでもジェネラリストということばが印象に残った。日本ではスペシャリストのみが記憶に残って、ジェネラリストは記憶されない。たとえば短距離走者カール・ルイスは印象に残っているが、十種競技の覇者の名は知られていない。賀川はまさにジェネラリストであり、彼が創立したイエス団の働きもジェネラルなものであった。
 督明氏は、祖父豊彦を「神格化」するのはまちがいで、豊彦の功のみならずまちがいもきちんと見ながら、豊彦がその生涯を主にささげて、地上に受肉されたキリストに倣ってなした働きを、今日の文脈のなかで実践している方だった。驚きかつ異常な感銘を受けた。
 パスカルのいう「オネットム」を思い出した。

オネットム。
人から「彼は数学者である」とか「説教家である」とか「雄弁家である」と言われるのでなく、 「彼はオネットムである」と言われるようでなければならない。この普遍的性質だけが私の気に入る。 ある人を見てその著書を思い出すようでは悪い徴候である。何か特質があったとしても、たまたま それを何事も度を過ごさずに用立てる機会にぶつかったときに限って、それに気がつかれる ようであって欲しい。さもないと一つの特質が勝ってしまって、それで命名されてしまう。彼が上手に 話すということは、上手に話すことが問題になったときに限って思い出されるようでなければならない。 しかもそのときこそは、思い出されなければならないのである。



3.閉会礼拝ではホーリネス教団の委員長内藤達朗牧師が創世記1章26−28節からメッセージをされた。若い日から「教会成長論」などを学び、熱心に祈り、伝道してきたが、今、成果が上がらず献身者が起こされない。なぜなのか。内藤先生は目に光るものをにじませて話をされた。
 私たちがキリストの福音によって救われたのは、罪ゆるされて天国に行くためだと教えてきたことのゆえではないか。私たちが救われたのは、神から託された地のすべてを治めるためであることを看過していたことにまちがいがあったのではないか。
 永遠のいのち、天国の約束を与えられたことは実にすばらしいことだが、その約束を与えられた者としてキリスト者は、神のみこころを地において実践することが求められている。今日、政治において、家庭において、教育現場において、職場において、自然環境において、さまざまな問題が噴出しているが、その責任の一端は教会が自己目的的な生き方をしてきたことにある。私たちはキリストが天から地上に受肉されたことに倣って、地に神のみこころをなすために、献身をする必要がある。聖化は個人の内面に留めておくべきことではなく、教会の聖化、信徒の家庭の聖化、地域社会の聖化、この国の文化の聖化、世界の聖化というひろがりを持つべきものである。

1:26神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。 1:27神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。 1:28神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。

 安藤理事長、賀川督明氏、内藤達朗師の話は、意図されてひとつのテーマで話されたわけではない。それぞれが、それぞれに祈り、備えをされて話されたことだったのだが、奇しくも一つの主題が一貫していたことが実に不思議だった。
 

<おまけ1>
 神学校時代の同室者で、今はKGKの働き人である、かすみ草のT氏ともひさびさにお目にかかれてうれしかった。二日目の夕食は「自由食」ということだったので、昔の記憶をたどって、T氏と同盟の先生たちを三宮の焼き鳥屋「鳥光」に連れて行った。食べたのは「鳥もも定食」。筆者の父は焼き鳥が好きで、ときどきこの鳥光の須磨本店に連れてきてくれたものだった。備長炭でじっくりと焼き上げたももは最高にうまかった。

<おまけ2>
 最終日、解散後、神戸の兄と義姉が車で迎えに来てくれて、まずうどん屋で腹ごしらえ。やっぱり、うどんは関西である。そのあと、六甲牧場に連れて行ってくれた。25年ぶりだろう。昔に比べると、ずいぶん整備されて、観光用のチーズ工場もあった。木陰でいろいろと話をした。
 その後、須磨海岸に連れて行ってもらった。やっぱり、なつかしい海を見ると心がせいせいとする。夜は兄がお好み焼きを作ってくれて、舌鼓。そのあとアルバイトから帰宅した姪もいっしょに楽しい話。

<おまけ3>
 兄の家で一泊させてもらって、翌日は前々からフェイスブックで知り合っていながらお目にかかれないでいたK牧師に会うために、塩屋の関西聖書神学校に出かけた。ジェームズ山の坂道の上にある神学校に到着したら全身びっしょり、振り返れば船を浮かべた瀬戸内海が見える。木陰で一時間ほど休憩。礼拝堂にくっついた小さな教室の窓から、K牧師が初期キリスト教会の教理史の講義をなさっているのが漏れ聞こえてきた。
 そのあと、故郷の須磨寺町まで山陽電車で行き、寿司竹で「卯の花寿司」を食べた。そして、須磨寺界隈を散歩しながら、神学についていろんなことを話した。JEA総会での話、人騒がせなN.T.ライト、創世記1:26−28、コロサイ1:15の神のかたちキリスト、聖化についてなどなど。京都大学で初期キリスト教教父を学ばれたK牧師は、風貌はアンパンマンで、打てば響くという神学的知性の方だった。私のほうが少し年かさであることで遠慮なさっていたのか、それとも聴き手に回るのが得意なお人柄だからか、私ばかりがしゃべりすぎてしまった。