サウル王がダビデを亡き者にしようとする中、ダビデに恋しその妻となったミカルは父を欺いてダビデを逃がしてやった。そのとき、父王の詰問を受けて、ミカルが答えたことばが、新改訳と他の三つの邦訳でずいぶん訳文が異なる。新改訳に親しんできた私にとっては、あれ?である。
新改訳19:17 サウルはミカルに言った。「なぜ、このようにして私を欺き、私の敵を逃がし、のがれさせたのか。」ミカルはサウルに言った。「あの人は、『私を逃がしてくれ。私がどうしておまえを殺せよう』と私に言ったのです。」
新共同訳19:17サウルはミカルに言った。「このようなことをしてわたしを欺いたのはなぜだ。なぜお前はわたしの敵を逃がし、避難させたのか。」ミカルはサウルに言った。「あの人は、『わたしを逃がせ。さもないとお前を殺す』と脅しました。」
口語訳19:17サウルはミカルに言った、「あなたはどうして、このようにわたしを欺いて、わたしの敵を逃がしたのか」。ミカルはサウルに答えた、「あの人はわたしに『逃がしてくれ。さもないと、おまえを殺す』と言いました」。
文語訳 19:17サウル、ミカルにいひけるはなんぞかく我をあざむきてわが敵を逃しやりしやミカル、サウルにこたへけるは彼我にいへり我をはなちてさらしめよ然らずば我汝をころさんと
Biblosで英語訳聖書を見ると、新改訳のようにWhy should I kill you?と訳してあるのが14で、新共同訳のように'Let me go or I'll kill you!'"と訳しているのが4つである。
http://biblehub.com/1_samuel/19-17.htm
最新のヘブル語研究がどうだとかいうことは私にはわからないけれど、ラマー(なぜ)ということばがあるから、新改訳のように取るのが普通ではないかと思う。
文脈的に、サウルの詰問に対する直線的なミカルの答えは新共同訳と他の3つの翻訳である。ただの強盗のせりふと変わらない。無粋だ。一方、新改訳の「私がどうしておまえを殺せよう」の方がダビデと若妻ミカルの間の情けを感じさせ、サウル王の非道が浮き立つ。また、人と神の心さえも掴んでしまう、いかにもダビデという男らしいセリフ。