苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

祭司アヒメレクの律法理解

 サウル王の殺意に身の危険を感じたダビデは、食糧も剣ももたないままに、王のもとから逃れた。身を寄せた先がまず主の宮であったという点が、さすがにダビデである。

21:1ダビデはノブに行き、祭司アヒメレクのところへ行った。アヒメレクはおののきながらダビデを迎えて言った、
「どうしてあなたはひとりですか。だれも供がいないのですか」。
21:2ダビデは祭司アヒメレクに言った、
「王がわたしに一つの事を命じて、『わたしがおまえをつかわしてさせる事、またわたしが命じたことについては、何をも人に知らせてはならない』と言われました。そこでわたしは、ある場所に若者たちを待たせてあります。
21:3ところで今あなたの手もとにパン五個でもあれば、それをわたしにください。なければなんでも、あるものをください」。
21:4祭司はダビデに答えて言った、「常のパンはわたしの手もとにありません。ただその若者たちが女を慎んでさえいたのでしたら、聖別したパンがあります」。
21:5ダビデは祭司に答えた、
「わたしが戦いに出るいつもの時のように、われわれはたしかに女たちを近づけていません。若者たちの器は、常の旅であったとしても、清いのです。まして、きょう、彼らの器は清くないでしょうか」。
21:6そこで祭司は彼に聖別したパンを与えた。その所に、供えのパンのほかにパンがなく、このパンは、これを取り下げる日に、あたたかいパンと置きかえるため、主の前から取り下さげたものである。
                 サムエル記上21章1−6

 このとき、アヒメレクは思いきったことをした。幕屋で主の前に供える12個のパンは取り下げたあと、祭司と祭司の子らが食べるべきものとしてレビ記に定められていたのに、おなかをすかせたダビデとその部下たちに与えたのである。

24:5あなたは麦粉を取り、それで十二個の菓子を焼かなければならない。菓子一個に麦粉十分の二エパを用いなければならない。 24:6そしてそれを主の前の純金の机の上に、ひと重ね六個ずつ、ふた重ねにして置かなければならない。 24:7あなたはまた、おのおのの重ねの上に、純粋の乳香を置いて、そのパンの記念の分とし、主にささげて火祭としなければならない。 24:8安息日ごとに絶えず、これを主の前に整えなければならない。これはイスラエルの人々のささぐべきものであって、永遠の契約である。 24:9これはアロンとその子たちに帰する。彼らはこれを聖なる所で食べなければならない。これはいと聖なる物であって、主の火祭のうち彼に帰すべき永久の分である」。      レビ記24:5-9

 主イエスは、この日のアヒメレクの行動をもって、祭儀律法というものが目の前で困窮している隣人に対する愛の求めにまさるものではないという律法理解の原則を示された。主イエスの律法理解がすごいのはあたりまえだが、祭司アヒメレクがそういう解釈をしていたのには、ほんとうにびっくり感心してしまう。


 次の章で、主の祭司アヒメレクとその一族85名は、サウル王の命令によって、ドエグというアマレク人の剣にかけられて、命を落とすことになる。ドエグという名を見ると、必ず思い出してしまうことがある。
http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20090428/1240875248


  庭のスズランスイセン(鈴蘭水仙