一つ目。聞くべき助言とは。
12:6レハベアム王は父ソロモンの存命中ソロモンに仕えた老人たちに相談して言った、「この民にどう返答すればよいと思いますか」。 12:7彼らはレハベアムに言った、「もし、あなたが、きょう、この民のしもべとなって彼らに仕え、彼らに答えるとき、ねんごろに語られるならば、彼らは永久にあなたのしもべとなるでしょう」。
12:8しかし彼は老人たちが与えた勧めを捨てて、自分と一緒に大きくなって自分に仕えている若者たちに相談して、 12:9彼らに言った、
「この民がわたしにむかって『あなたの父がわれわれに負わせたくびきを軽くしてください』というのに、われわれはなんと返答すればよいと思いますか」。 12:10彼と一緒に大きくなった若者たちは彼に言った、「あなたにむかって『父上はわれわれのくびきを重くされましたが、あなたは、それをわれわれのために軽くしてください』と言うこの民に、こう言いなさい、『わたしの小指は父の腰よりも太い。 12:11父はあなたがたに重いくびきを負わせたが、わたしはさらに、あなたがたのくびきを重くしよう。父はむちであなたがたを懲らしたが、わたしはさそりをもってあなたがたを懲らそう』と」。 (列王記上12:6-11)
ソロモンの子レハベアムは父に仕えた長老たちの助言を聞いたが気に入らなかった。彼は父よりも強力な専制君主になりたかったから。そこで、今度は仲間の若者たちに助言を求めた。彼らはレハベアムの幼馴染だから、聞く前から答えはわかっていた。そして、彼は愚かな選択をして、王国を分裂させてしまう。
私たちは助言を求めながら、実は、単に自分の願いの支持者を求めているだけのことがないだろうか。耳に痛い助言、意に反すること助言こそ、ことの当否は別として、耳を傾けるに値する助言であるのに。
二つ目。国家神道の企て。
12:25ヤラベアムはエフライムの山地にシケムを建てて、そこに住んだ。彼はまたそこから出てペヌエルを建てた。 12:26しかしヤラベアムはその心のうちに言った、
「国は今ダビデの家にもどるであろう。 12:27もしこの民がエルサレムにある主の宮に犠牲をささげるために上るならば、この民の心はユダの王である彼らの主君レハベアムに帰り、わたしを殺して、ユダの王レハベアムに帰るであろう」。
12:28そこで王は相談して、二つの金の子牛を造り、民に言った、
「あなたがたはもはやエルサレムに上るには、およばない。イスラエルよ、あなたがたをエジプトの国から導き上ったあなたがたの神を見よ」。
12:29そして彼は一つをベテルにすえ、一つをダンに置いた。 12:30この事は罪となった。民がベテルへ行って一つを礼拝し、ダンへ行って一つを礼拝したからである。
12:31彼はまた高き所に家を造り、レビの子孫でない一般の民を祭司に任命した。 12:32またヤラベアムはユダで行う祭と同じ祭を八月の十五日に定め、そして祭壇に上った。彼はベテルでそのように行い、彼が造った子牛に犠牲をささげた。また自分の造った高き所の祭司をベテルに立てた。 12:33こうして彼はベテルに造った祭壇に八月の十五日に上った。これは彼が自分で勝手に考えついた月であった。そして彼はイスラエルの人々のために祭を定め、祭壇に上って香をたいた。
北イスラエル王国の初代王となったヤロブアムは、民が南ユダ王国のエルサレム神殿に礼拝をささげに行くことに危機感を覚えた。これでは民心はやがて私から離れてしまい、自分は寝首をかかれる日が来るにちがいない、と。そうして、ヤロブアム流に国家神道をつくる。すなわち、エルサレム神殿に代わる神殿をつくり、これに仕える祭司制度をつくり、祭日をつくりだした。
明治維新の後に、伊藤博文が、国民を束ね愛国心を盛り上げるために、天皇を中心とした国家神道をつくったのも同じことである。全国の神社を格付けし、祭日を定め、神祇官という役所をつくり、廃仏毀釈運動をもって仏教寺院を弾圧した。
しかし、ヤロブアム王の企ては、当然、神のみこころに反することであったから、早晩その王朝は断絶してしまうことになる。伊藤の国家神道に対しても先の敗戦で鉄槌が下った。