1.大乗仏教の仏たち
シャカは死後・来世のことについて「無記」だった。シャカは「仏様におすがりすれば死後は仏国土に成仏できる」とは教えなかった。では、日本の仏教徒がなんとなく考えている死後・来世の救いはどこから出てきたのか?それは、シャカが死んだあと数百年もたって墓守か誰かによって作られた「超人シャカ伝説」であると、ひろさちや氏は教えている。では大乗経典でいうもろもろの仏たちとは、なんなのか。
シャカは、生きている間には、自分を神格化したことはないが、死後数百年を経るうちに、その墓を中心にしてシャカの神格化する人々が、「シャカは死んだがブッダ(真理を悟った人)は死んでいない」という伝説を作った。すなわち肉体としてのシャカは死んだけれども、永遠の真理としてのブッダは死なないというのである。この永遠の真理としてのブッダを法身仏(ほっしんぶつ)と呼び、肉体としてのシャカその人は色身仏と呼ぶ。
さらに、真理としてのブッダは永遠なのであるから、シャカ以前にも同じ真理を説いたブッダが無数にいたということを、想定するようになった。それが「過去仏」と呼ばれる仏たちで、ビバシ仏、シキ仏、ビシャフ仏、クルソン仏などたくさんある。そして、ブッダが永遠である以上過去だけでなく未来、シャカ没後56億7千万年後にも来るに違いないという想定がなされて、それが弥勒仏(マイトレーヤ)である。さらに、昔人間としていたがブッダになり、今も極楽浄土で説法している仏として阿弥陀仏が想定された。また、永遠不変ということを過去未来に押し進めてビルシャナ仏も想定された。無論すべて虚構である。
シャカ(ゴータマ・シッダールタ)は歴史上実在の人物であったが、神格化された永遠の真理としてのシャカムニ仏を初め、阿弥陀仏、ビルシャナ仏(大日如来)などなどそのほかの仏たちはみなフィクションである。「阿弥陀仏が仏陀になられる前、修業中の名を法蔵菩薩といった。阿弥陀仏は釈尊とは異なり、実在の人物ではなくてフィクション(虚構)である」と、以上、仏教者ひろさちや氏は述べている(前掲書p167)。
そして、この無数の仏たちは十方世界に充満しており、それぞれの仏がそれぞれの仏国土(=浄土)を持っているということが想定されるようになる。たとえば薬師仏は東方に浄瑠璃世界と呼ばれる仏国土を持ち、阿弥陀仏は西方に極楽世界という仏国土を持っているという。いうまでもなく仏国土もフィクションである。
死後・来世については口を閉ざして「この現世における苦悩からの解放」に徹したシャカと、死後の世界を考えた大乗仏教とはまったく別物である。だから、宗教学では「大乗教はシャカの教えではない」(大乗非仏説)とされる。というわけで、「なお、この大乗仏教物語はすべてフィクションであって実在のシャカとは関係ありません」ということになる。
それにしても、シャカが説いたこと(原始仏教)と大乗仏教が説いていることは、違いすぎる。原始仏教には死後の世界はないが、大乗仏教には死後の仏国土がある。原始仏教には頼るべき人格的な超越者(神)はなくどこまでも自己修練の世界であるが、大乗仏教には頼るべき仏が存在する。まったく別の世界観と救済観である。
大乗仏教はいったどこから来たのだろうか。仏教者ひろさちや氏の説では、上に書いたようにシャカの死後、仏塔参拝に来る人たちに対して墓守が「超人シャカ伝説」に尾ひれをつけて話しているうちに、そういうお話が出来てきたのだということであり、それが仏教界の一応オーソドックスな了解事項なのだろう。
では、そういう「尾ひれ」は何をヒントとしたのだろうか。大乗仏教の内容と時代状況からすると、大乗経典をまとめた人々はキリスト教から、人格神(→さまざまな仏)、天国(→さまざまな仏国土)、再臨(→未来仏)などの本来のシャカの教えにはない教説を取り入れたのではないかと推測されている。当時、シリヤ正教会ないしアッシリヤ東方教会が、シリヤ、イラク、イラン、北インド、南西インド、中国にまで宣教をしていたことは歴史的事実であったから、北西インドの人々がその教説に触れて影響を受けたと考えるのはごく自然なことである。もっとも、大乗仏教はキリスト教だけではなく、バラモン教・ゾロアスター教などの影響も受けている。
キリスト教からの影響の詳細については、平山朝治教授の論文が公開されているのでごらんになられるとよい。
平山朝治「大乗仏教の誕生とキリスト教」(筑波大学経済学論集第57号、2007年3月 所収)
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/M89/M896538/4.pdf
*シリヤ正教HP http://www.syrian.jp/001-1-2.htm