きょうは受難週の始まる主の日だったので、イザヤ書53章から、イエス・キリストのご受難にかんするお話をしました。イザヤは、紀元前8世紀南ユダ王国でウジヤ、ヨタム、アモツ、ヒゼキヤ、そしてマナセという王たちの時代に60年間にわたって預言者活動をし、最後に悪逆非道のマナセ王の時代に殉教した預言者でした。
イザヤ書のなかにはメシヤ預言がいくつも含まれていますが、中でも53章は「イザヤによる福音書」と呼ぶ人もいるほど、明瞭にイエス・キリストの生涯を予告しています。アウトラインだけゴシックで付けておきます。味わってください。
キリストは馬屋に生まれ大工の息子として育つ
53:1 私たちの聞いたことを、だれが信じたか。
【主】の御腕は、だれに現れたのか。
53:2 彼は主の前に若枝のように芽ばえ、
砂漠の地から出る根のように育った。
彼には、私たちが見とれるような姿もなく、
輝きもなく、
私たちが慕うような見ばえもない。
53:3 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、
悲しみの人で病を知っていた。
人が顔をそむけるほどさげすまれ、
私たちも彼を尊ばなかった。
キリストは私たちの罪を背負って、私たちに平安をもたらす
53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、
私たちの痛みをになった。
だが、私たちは思った。
彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
53:5 しかし、彼は、
私たちのそむきの罪のために刺し通され、
私たちの咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、
おのおの、自分かってな道に向かって行った。
しかし、【主】は、私たちのすべての咎を
彼に負わせた。
キリストの受難のありさま
53:7 彼は痛めつけられた。
彼は苦しんだが、口を開かない。
ほふり場に引かれて行く羊のように、
毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、
彼は口を開かない。
53:8 しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。
彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。
彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、
生ける者の地から絶たれたことを。
53:9 彼の墓は悪者どもとともに設けられ、
彼は富む者とともに葬られた。
彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが。
キリストの受難は父なる神のみこころだった
53:10 しかし、彼を砕いて、痛めることは
【主】のみこころであった。
もし彼が、自分のいのちを
罪過のためのいけにえとするなら、
彼は末長く、子孫を見ることができ、
【主】のみこころは彼によって成し遂げられる。
53:11 彼は、自分のいのちの
激しい苦しみのあとを見て、満足する。
わたしの正しいしもべは、
その知識によって多くの人を義とし、
彼らの咎を彼がになう。
53:12 それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、
彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。
彼が自分のいのちを死に明け渡し、
そむいた人たちとともに数えられたからである。
彼は多くの人の罪を負い、
そむいた人たちのためにとりなしをする。