苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

幣原喜重郎『外交五十年』

 ひさびさに軽妙な語り口で、かつ歴史の重みある自伝を読んだ。戦前は外交官、大使、外務大臣として幣原外交と呼ばれる平和外交を展開したが、日本が軍国化へ暴走する時期には軟弱外交と非難されつつ下野し、敗戦直後、老いて総理大臣として再登板して、わが国の戦後の平和の基礎を築いた幣原喜重郎の『外交五十年』である。生年が1872年9月13日(明治5年8月11日)であり、没年が 1951年(昭和26年)3月10日であるから実に激動の時代を潜り抜けた人物だった。
 幣原は昭和26年3月8日に他界しているが、その少し前の3月2日に本書の序文に次のように書いている。

「ここに掲ぐる史実は仮想や潤色を加えず、私の記憶に存する限り、正確を期したつもりである。もし読者諸賢において、私の談話に誤謬を発見せられたならば、幸いご指教を賜わるよう、万望に堪えない。」


 最終章には、彼の平和憲法についての信念が記されている。長いが、引用しておく。

「私は図らずも内閣組織を命ぜられ、総理の職に就いたとき、すぐに頭に浮んだのは、あの電車の中の光景であった。これは何とかしてあの野に叫ぶ国民の意思を実現すべく努めなくてはいかんと、堅く決心したのであった。それで憲法の中に、未来永劫そのような戦争をしないようにし、政治のやり方を変えることにした。つまり戦争を放棄し、軍備を全廃して、どこまでも民主主義に徹しなければならないということは、他の人は知らないが、私だけに関する限り、前に述べた信念からであった。それは一種の魔力とでもいうか、見えざる力が私の頭を支配したのであった。よくアメリカの人が日本へやって来て、こんどの新憲法というものは、日本人の意志に反して、総司令部の方から迫られたんじゃありませんかと聞かれるのだが、それは私の関する限りそうじゃない、決して誰からも強いられたのではないのである。
軍備に関しては、日本の立場からいえば、少しばかりの軍隊を持つことはほとんど意味がないのである。将校の任に当ってみればいくらかでもその任務を効果的なものにしたいと考えるのは、それは当然のことであろう。外国と戦争をすれば必ず負けるに決まっているような劣弱な軍隊ならば、誰だって真面目に軍人となって身命を賭するような気にはならない。それでだんだんと深入りして、立派な軍隊を拵えようとする。戦争の主な原因はそこにある。中途半端な、役にも立たない軍備を持つよりも、むしろ積極的に軍備を全廃し、戦争を放棄してしまうのが、一番確実な方法だと思うのである。
も一つ、私の考えたことは、軍備などよりも強力なものは、国民の一致協力ということである。武器を持たない国民でも、それが一団となって精神的に結束すれば、軍隊よりも強いのである。例えば現在マッカーサー元帥の占領軍が占領政策を行っている。日本の国民がそれに協力しようと努めているから、政治、経済、その他すべてが円滑に取り行われているのである。しかしもし国民すべてが彼らに協力しないという気持ちになったら、果たしてどうなるか。占領軍としては、不協力者を捕えて、占領政策違反として、これを殺すことが出来る。しかし八千万人という人間を全部殺すことは、何としたって出来ない。数が物を言う。事実上不可能である。だから国民各自が、一つの信念、自分は正しいという気持ちで進むならば、徒手空拳でも恐れることはないのだ。暴漢が来て私の手をねじって、おれに従えといっても、嫌だといって従わなければ、最後の手段は殺すばかりである。だから日本の生きる道は、軍備よりも何よりも、正義の本道を辿って天下の公論に訴える、これ以外にはないと思う。
あるイギリス人が書いた『コンディションズ・オブ・ピース』(講和条件)という本を私は読んだことがあるが、その中にこういうことが書いてあった。第一次世界大戦の際、イギリスの兵隊がドイツに侵入した。その時のやり方からして、その著者は、向こうが本当の非協力主義というものでやって来たら、何も出来るものではないという真理を悟った。それを司令官に言ったということである。私はこれを読んで深く感じたのであるが、日本においても、生きるか殺されるかという問題になると、今の戦争のやり方で行けば、たとえ兵隊を持っていても、殺されるときは殺される。しかも多くの武力を持つことは、財政を破滅させ、したがってわれわれは飯が食えなくなるのであるから、むしろ手に一兵をも持たない方が、かえって安心だということになるのである。日本の行く道はこの他にない。わずかばかりの兵隊を持つよりも、むしろ軍備を全廃すべきだという不動の信念に、私は達したのである。 」