苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

昼でも夜でも、雲が上るなら

9:15幕屋を建てた日に、雲は幕屋をおおった。すれはすなわち、あかしの幕屋であって、夕には、幕屋の上に、雲は火のように見えて、朝にまで及んだ。 9:16常にそうであって、昼は雲がそれをおおい、夜は火のように見えた。 9:17雲が幕屋を離れてのぼる時は、イスラエルの人々は、ただちに道に進んだ。また雲がとどまる所に、イスラエルの人々は宿営した。 9:18すなわち、イスラエルの人々は、主の命によって道に進み、主の命によって宿営し、幕屋の上に雲がとどまっている間は、宿営していた。 9:19幕屋の上に、日久しく雲のとどまる時は、イスラエルの人々は主の言いつけを守って、道に進まなかった。 9:20また幕屋の上に、雲のとどまる日の少ない時もあったが、彼らは、ただ主の命にしたがって宿営し、主の命にしたがって、道に進んだ。 9:21また雲は夕から朝まで、とどまることもあったが、朝になって、雲がのぼる時は、彼らは道に進んだ。また昼でも夜でも、雲がのぼる時は、彼らは道に進んだ。 9:22ふつかでも、一か月でも、あるいはそれ以上でも、幕屋の上に、雲がとどまっている間は、イスラエルの人々は宿営していて、道に進まなかったが、それがのぼると道に進んだ。 9:23すなわち、彼らは主の命にしたがって宿営し、主の命にしたがって道に進み、モーセによって、主が命じられたとおりに、主の言いつけを守った。                民数記9:15−23

 二・三百万人といわれ、さらに多くの家財道具と家畜がいたイスラエルの民が、荒野を旅して約束の地に行くにあたって、道案内は昼は雲、夜は火というかたちをもって、主ご自身がしてくださった。そうでなければ、一致して旅することはとうてい無理だっただろう。
 それにしても、老人、病人、妊産婦、赤ん坊・・・さまざまな者もいっしょに、よくぞ雲と火の柱の合図にしたがって旅したものだと思う。彼らは人間の側の予定でなく、神の合図にひたすらしたがって、昼でも夜でも旅だちあるいは宿営を張ったのである。夜中にいきなり火の柱が動き出せば、寝た子をたたき起こして旅立たねばならない。病人を負ぶってゆかねばならない。
 イスラエルの民というと、不従順の民とレッテルを貼ってしまいがちだけれど、とんでもない。よくぞ彼らは荒野を旅したものだと感心してしまう。