苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

レビ人の聖別

1:47しかし、レビびとは、その父祖の部族にしたがって、そのうちに数えられなかった。 1:48すなわち、主はモーセに言われた、 1:49「あなたはレビの部族だけは数えてはならない。またその総数をイスラエルの人々のうちに数えあげてはならない。 1:50あなたはレビびとに、あかしの幕屋と、そのもろもろの器と、それに附属するもろもろの物を管理させなさい。彼らは幕屋と、そのもろもろの器とを持ち運び、またそこで務をし、幕屋のまわりに宿営しなければならない。                  民数1:47−50


3:11主はまたモーセに言われた、 3:12「わたしは、イスラエルの人々のうちの初めに生れたすべてのういごの代りに、レビびとをイスラエルの人々のうちから取るであろう。レビびとは、わたしのものとなるであろう。 3:13ういごはすべてわたしのものだからである。」        民数3:11−13

 荒野を旅するイスラエルが生き抜くには、虎視眈々とすきを狙って襲い掛かかろうとする外敵から自衛するために、屈強の男子たちが軍務につくことは必須のことだった。その数六十万三千五百五十人。
 しかし、イスラエルの存立にとって軍務以上に必須の任務があった。それは彼らイスラエルイスラエルであるということを維持する任務、すなわち、主なる神に礼拝し、仕えるということだった。イスラエルは聖なる国民、祭司の王国であるゆえにこそ、その存在の意味があった。だから、神の幕屋に仕える民としてレビ族は、主のために聖別された。どんな事情があろうと、けっして彼らを軍務につかせてはいけなかった。彼らはイスラエル代表として、神にささげられた初子(ういご)であった。
 「まずは食べていかなければいけないでしょう。すこし余裕ができたら神様のことを。」ではない。まず、神様。

「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」マタイ福音書6章31−33節