苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

長い歴史と伝統?(その2)

 天皇の位置づけの歴史的流れについて村上重良『天皇の祭祀』に基づいて、かりにエドマンド・バーク保守主義に基づくなら・・・とこんなふうに考えて見ました。どうでしょうか。


1.奈良時代から平安時代末まで、天皇は古代世界でしばしば見られる古代の祭司王のひとりであり祭祀権と統治権を持っていた。ただし平安時代8世紀末には、すでに、その統治の実権は藤原氏に移っている。


2.鎌倉時代から江戸時代末までおよそ700年間、天皇は祭司王であり祭祀権のみを持つ。統治権は貴族から幕府に移った。祭祀権というのは、伝統的価値に基づく名誉を与える権威を意味し、たとえば律令制における征夷大将軍という名を武家の棟梁に与えた。天皇が平安期に実質的に統治権を離れ、祭祀のみを担当するようになってから、江戸時代の終わりまで1000年以上の伝統がある。


3.明治維新で「王政復古」し、皇室典範大日本帝国憲法発布1889年から敗戦1945年まで、天皇は現人神とされ、祭祀大権・政治大権・軍事大権を持った。これは、欧米列強に伍するために強力な中央集権国家とするために、無理やりに作り出された天皇のありかたであって、皇室の歴史にも伝統にも基づかない異常な姿である。ロシア、ロマノフ朝におけるツァーリの荘厳さを見て感激した山県有朋がこの種の演出をしたのだと、何かの本で読んだことがある。その期間わずか60年足らず。


4.1945年以後、天皇は政治大権・軍事大権を離れ、国民統合の象徴とされて国事行為を司る。祭祀権については、政教分離原則にのっとって皇室祭祀は私事とされるはずだが、ある程度あいまいな扱いをされている。かつての祭祀権のうち宗教性の強い部分は皇室祭祀とされ、宗教性の少ない部分が国事や栄典授与として残されていると解されよう。
 政教分離原則は、遡れば古代教会4世紀の司教アンブロシウス以来の教会と国家のせめぎあいの歴史、格別16世紀から17世紀の悲惨な宗教戦争をへて、三十年戦争終結の1638年のウェストファリア条約でようやく定められた近代国家のありかたの知恵である。政教一致がいかに悲惨な結果を生むかということは、ヨーロッパだけでなく、日本も近代史において経験したのである。


5.というわけで、日本国憲法における天皇のありかたは、千年の歴史と伝統にかなっているかたちに、さきの敗戦にいたる反省をふまえて政教分離というヨーロッパの千数百年の歴史を経て得られた知恵を加味したものであると解される。これに対して、明治憲法における天皇主権制は、こうした千年の歴史と伝統から逸脱したわずか60年で崩壊した異形の天皇のありかたにすぎない。
  エドマンド・バークふうに言えば、明治期の天皇の位置づけが、1000年の歴史と伝統を逸脱した異常なものであったから、その破綻は必然だったのである。以上のように見てくると、西田氏の信奉する保守主義の父バークの原則から考えると、自民党憲法改正案2012年4月27日における、明治憲法回帰の傾向はまことに軽率というほかない。

(なお筆者が物差として信奉するのは、バークではなく、聖書であることはいうまでもない。聖書という物差をあてて妥当とされる点には真理契機があると見る。) 


   (はるかに望む浅間山