苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ほんものの保守思想から見た天皇のあり方

 京都選出の西田昌司氏という政治家は「そもそも国民に主権があるのがおかしい。主権は伝統にあるのだ。」と言っている。西田氏の理論的支柱は、保守思想の父英国のエドマンド・バークである。だが、彼は、バークを完全に読み間違えている。
 バークは、『フランス革命省察』でフランス革命と英国市民革命を比較しつつ、英国の名誉革命は伝統に基づいて行われたから成功したが、フランス革命は王制と教会という聖俗二つの伝統を破壊したゆえに社会は無規範(アノミー)に陥り結局は軍事独裁になってしまうと批判し、かつ、予見した。そして、この予見はみごとに的中した。つまり、英国の革命は教会の伝統を保持し、かつ、制限君主制の伝統に則って行われたから、よい果実のを残した。それに対して、フランス革命は王政も教会も合理主義によって破壊したから、めちゃくちゃになってしまった。
 バークが誇る英国の革命とは1688−89年の名誉革命である。これは、中世1215年のマグナ・カルタ以来の400年におよぶ制限君主制(立憲君主制)の伝統にのっとった革命であるゆえに成功し、この後、英国は繁栄の時代を迎える。一方、聖俗の伝統を破壊したフランスは恐怖政治、ナポレオン独裁、王政復古第二帝政・・・・とコロコロと安定を欠く歴史をたどって国力を衰えさせた。
 西田氏が「主権は伝統にある」と言うのは、バークのことば通りなのだが、西田氏のいう「伝統」とは明治革命政府によってバタバタバタとにわか作りされた天皇を中心とする国家神道体制を意味している点において、完全なバークの読み間違え間違いなのである。
 日本の皇室の伝統の宗教は何か?国家神道ではない。中学生でも知っているように、聖徳太子以来、江戸時代の終わりまで、皇室の宗教は神仏習合的であったが基本的には仏教であった。あの排他的な国家神道は、伊藤博文が平田神道絶対王政下のキリスト教をまねして作った偽キリスト教にすぎない。
 明治憲法下の<政治的大権・軍事大権・祭祀大権を備えた現人神天皇>というのは、帝政ロシアプロイセンの皇帝のまねをして造られた。ロシアとプロイセンの帝政が瓦解したように、そのまがいものの近代天皇制も先の敗戦で、維新からわずか数十年で瓦解した。歴史の必然である。
 天皇の伝統的姿とはなにか?それは、政治的・軍事的実権をもたない象徴である。植木枝盛はこれを「儀礼天皇」と呼んだ。象徴天皇の伝統は、貴族階級に政治的実権が移った平安時代から江戸時代の終わりまでの千数十年、武士に政治的実権が移った鎌倉時代から数えたら六百数十年である。そして、戦後70年間の日本国憲法下の象徴天皇のあり方こそ、伝統に則ったものである。
 保守思想の父エドマンド・バークの観点からすれば、明治維新国家神道体制こそ伝統を無視した革命であったから、数十年で瓦解したのは必然なのだ。西田の属する現在の極右化した自民党は、愚かにも明治の国家神道体制が日本の伝統であり「美しい国」だと思い込んでいて、これに引き戻そうとしている。的外れもいいところである。ふたたび、この国を滅びに導くだけだ。