苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

三冊の本

 国家というもの、天皇制というものの仕組みを理解する上で、役に立った聖書以外の3冊の本。
 葦津珍彦『みやびと覇権』は天皇制と西洋諸国の王制とフランス型、米国型、ドイツ型それぞれの共和制の構造の理解。著者は、明治以降、天皇江戸城に移され、本来の「みやび」の伝統を失ったことが近代史の不幸のもとであるとして、京都御所に帰っていらっしゃいという立場。
 家永三郎『革命思想の先駆者』は自由民権運動の思想的指導者植木枝盛に関する本。岩波文庫には『植木枝盛選集』もある。その思想は、研究者鈴木安蔵を通じて、日本国憲法に流れ込んだ。家永は、相当左寄り。
 エドマンド・バークフランス革命省察』は、英国同時代の保守思想家が見たフランス革命の危うさ。バークは聖俗両方の伝統的価値を否定したフランス革命は、道徳の崩壊に陥り、迷走の末に専制君主制に逆行してしまうと予見し、それが的中したことで名を挙げた。本書はその縮約版。
 自民改憲草案をつくった人々は、保守思想の父バークやトックヴィルを近代天皇制を支持する思想家として援用するが、読み間違えだと思う。バークの思想に照らせば、明治から敗戦までの近代天皇制こそ伝統を破壊する革命思想であったから、その敗戦による崩壊は必然だった。

<同日追記>
『みやびと覇権』は今は手に入りにくいので、記憶していることをメモします。
 国家には統合の象徴的立場の人が必要である。共和制においては、それは大統領や主席が担うことになり、王制においては王が担う。
 大統領や主席の権威の源泉は、国民の直接選挙、あるいは、戦争での勝利者であることである。したがって、その権威は強力であるが不安定である。米国やフランスの大統領は実務と統合の象徴の両方を担う。ドイツの場合は実務は首相が、統合の象徴は大統領が担うという分担をしている。
 他方、王の権威の源泉は、覇権を持つ血統の継承者としてのの伝統である。天皇は大昔の覇王の血統ではあるが、武家政権に覇権をゆだねて久しくなっているので、その権威の源泉は「みやび」の伝統である。ところが、明治維新天皇を西洋型覇王に仕立てがのがまちがいであった。
・・・・とまあ、こんな趣旨であったと思います。