苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

『昭和16年夏の敗戦』・・・立場と事実

 昨日に続き、猪瀬直樹昭和16年夏の敗戦』のもう少し気になる部分をメモしておく。ここが本書の核心部分だと思われる。文庫版258,259頁。

彼ら(総力戦研究所の「模擬内閣」)が、究極のところで頼ったのは国力算定の数字であった。・・・彼らは、机上演習のある段階で、瞬間彼らはその「立場」を超えていた。立場の代わりに「事実(数字を含めたデータ)に執着し、そして事実を畏怖するようになっていく。
・・・昭和16年12月8日に至る大本営・政府連絡会議は、いまから振り返りみると、全員一致制をとり行なうセレモニーでしかなかった。・・・「事実」を畏怖することと正反対の立場が、政治である。政治は目的(観念)をかかえている。目的のために、「事実」が従属させられる。

 目的(観念)のために、「事実」がゆがめられてゆくのが政治であると猪瀬は言う。しかし、いかに政治的意図をもって「事実」をゆがめようとしてみても、あるいは「事実」を無視してみても、「事実」の力には抗うことはできないから、結局は「事実」によって復讐されることになってしまう。先の敗戦はそれである。そして、このたびの大飯原発再稼動は必要だから安全という経済産業省の官僚と四閣僚が数時間で決めた政治判断も、早晩、原発は大地震に勝つことはできないという「事実」によって復讐されることになるだろう。ことは大飯原発一つの問題ではない。あのとんでもない「新基準」に拠るならば、ほかのどんな原発であれ再稼動可能にされてしまうからである。
 ところで、本書の末尾に猪瀬と勝間和代の対談が掲載されている。そのなかにも同じ趣旨の次のようなくだりがある。

猪瀬 当時の最高意思決定機関は、天皇の御前に政府と軍部の代表を集めて開かれる大本営・政府連絡会議です。・・・ただ議事録を読むと、どうも議論が同じところをグルグル回っているだけで・・・。
勝間 なぜ実りある会議ができなかったのでしょうか?
猪瀬 会議の主人公はみな五十代、六十代で、組織の代弁者ですからしがらみがあって、ほんとうのことがわかっていても向き合わない。(総力戦研究所の)「模擬内閣」は、しがらみがないのでシミュレーションは正確です。

 
 日本人は絶対者なる神を知らず「お家大事」という社会に生きてきたせいであろう。組織と組織における自分の「立場」を重んじすぎる向きがある。「立場」を自覚することは必要ではあるが、これを不当なまでに重んじることは聖書的なことばを使っていえば組織の偶像化である。たとえば、厚生労働省の村井さんを罪に陥れた前田検事の上司が、レポーターの取材に対して「私は決して悪いことはしていない。組織のためにしたことです。」と言っていた。彼にとっては検察という組織自体が至高の価値(神)になってしまって、検察組織は本来社会正義実現のための手段にすぎないという事実が忘却されている。あの検察官は、これまで「会社のためにしたことです」というセリフをいう人々をさんざん取り締まってきたはずなのに。
 私が、「お家のため」「組織のため」「会社のため」「お国のため」というのが、個人の免責の理由にならないのだということを思い知ったのは、ベルリンの壁を乗り越えて西側に逃げようとする人々を射殺することを任務としていた壁の監視兵が、ベルリンの壁崩壊後に個人として有罪判決を受けたというニュースにふれたときだった。たとえ国家の命令であり、自分が国軍の兵士であったとしても、人間として従うべきでない国家の命令には従ってはならないのである。さすがにルターの国だと思った。おそらく日本の判事であれば、ああいう判決は下しえなかっただろう。

 「事実」を軽んじ、「立場」でしかものを言わないような人々ばかりになるならば、その組織は国であれ会社であれ、そして教会や教派であれ、結局は「事実」から復讐を受けて滅亡へと向かって行く。省益以外眼中にないような今の日本の官僚機構はそういう組織病が膏肓に入っており、このままでは、日本は滅びてしまうという危機感を氏は持っている。私も、今の政府・官僚の原発問題への対応を見ていると、日本はもう一度敗戦をなめなければならないのかと危機を感じている。相手は巨大地震放射能である。勝ち目はないし、放射能相手では「戦後復興」すらできない。

 組織における自分の立場をわきまえることは重要である。しかし、立場よりもさらに重要なことがある。それは、事実を見ることである。事実を見て、自分の組織がなんのために存在しているのかということに立ち返って、考えることである。もし、その目的から組織が逸脱しているならば、組織を防衛することより、その組織を根本から問い直すことが正しい。
 私自身、「立場」を強いられるような歳になってみて、もう一度、真理に対してこそ誠実であるべきことを教えられた。