苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

『昭和16年夏の敗戦』・・・不合理な暴走

 猪瀬直樹昭和16年夏の敗戦』という本を読んだ。敗戦が昭和20年の夏であることは誰でも知っている。なぜ、16年なのか。
 日米開戦直前の昭和16年の夏、官僚28名(文官22名・武官6名)と民間人8名の総勢36名のおもに三十代の各分野の俊才たちが総力戦研究所に集められた。彼らは模擬内閣を形成し、机上演習において、日本の軍事力・経済力・外交について情報と知恵を出し合って対米戦争のシミュレーションをした。その結果は、「緒戦の勝利は見込まれるが、その後は長期戦になることは必至であり、その負担に日本の国力は耐えられない。戦争末期にはソ連の参戦し、敗北は不可避である。」ということだった。その年末に始まり20年夏に終わる実際の戦争は予想通りの経緯をたどることになる。日米両国の軍事・社会・経済力と国際情勢の各方面のデータを突き合わせれば、そこから導き出される冷静な合理的結論は、完膚なきまでの敗北以外にはありえなかった。
 この机上演習の結果は8月27,28日に首相官邸での『第一回総力戦机上演習総合研究会』で発表された。陸軍大臣東条英機は、この研究会の最後に次のように述べたという。「諸君の研究の労を多とするが、これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戦争というものは、君達が考へているやうな物では無いのであります。日露戦争で、わが大日本帝国は勝てるとは思わなかった。然し勝ったのであります。あの当時も列強による三国干渉で、やむにやまれず帝国は立ち上がったのでありまして、勝てる戦争だからと思ってやったのではなかった。戦といふものは、計画通りにいかない。意外裡な事が勝利に繋がっていく。したがって、諸君の考えている事は机上の空論とまでは言わないとしても、あくまでも、その意外裡の要素というものをば、考慮したものではないのであります。なお、この机上演習の経緯を、諸君は輕はずみに口外してはならぬということでありますッ」
 実のところ、東条は相当に狼狽していたことが、末尾に緘口令を敷いたことにあらわれている。総力戦研究所の出したシミュレーションがあまりにも的を射ていたからである。当時の軍部は、緒戦の勝利の後すみやかに講和条約を結べばよいという絵空事をもって開戦を主張していたからである。本書によれば、この後、開戦を望んでいなかった天皇から首相に任じられた東条は、従来自らが唱えてきた開戦をとどめるためいくらかの抵抗をしたそうであるが、結局のところ、せっかくの総力戦研究所のシミュレーション結果を無視して対米開戦へと突き進み、日本を滅亡へと導くことになる。なぜか。それはひとたび手に入れた満州を含む中国における権益を手放すことができないという主張が、財界や軍部の大勢を占めていたからである。大陸における権益を失えば、日本は「三等国」に転落すると考えたからだったという。・・・それで、あえて滅亡への対米開戦を選択した。なんと愚かしい決断だろうか。
 だが、筆者は、わが国の敗北必至の対米戦争への不合理な暴走を愚かしいことだとわらってすますわけに行かないと感じている。それは、今日の政権の原発再稼動への不合理な暴走のありさまと似ていることを感じるからである。311以後、原発をめぐる政府の判断も発表も信用できないと感じていたのであるが、原子力ムラの原子力安全委員会さえ「安全とはいえない」と発言している大飯原発について、四人の閣僚が実質数時間でデタラメな「新安全基準」なるものをつくり、再稼動は「必要で安全だ」と異常な決定したからである。必要と安全とは論理的に結びつかない。かつてのこの国の政府が、日本の繁栄にとって満州・中国の権益は必要だから、対米戦争に勝てると言ったのと同じである。
 指導者のために、祈りたい。