苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

原発銀座、若狭湾の巨大地震と津波


14基の原発がひしめく原発銀座、若狭湾。ここでは大きな地震はなかったと関西電力は説明をして、地元を説得してきたのですが、実はウソでした。

天正地震(1586年1月18日)
 天正地震の被災範囲は、「近畿から東海、北陸にかけての広い範囲、現在の福井県、石川県、愛知県、岐阜県富山県滋賀県京都府奈良県越中、加賀、越前、飛騨、美濃、尾張、伊勢、近江、若狭、山城、大和)に相当する地域にまたがって甚大な被害を及ぼしたと伝えられる。また阿波でも地割れの被害が生じており、被害の範囲は1891年の濃尾地震(M8.0−8.4)をも上回る広大なものであった。そのことなどからこの地震は複数の断層がほぼ同時に動いたものと推定されている」(Wikipedia

<史料>
フロイス『日本史』
「若狭の国には、海に沿ってやはり長浜と称する別の大きい町があった。揺れ動いた後、海が荒れ立ち、高い山にも似た大波が遠くから恐るべきうなりを発しながら猛烈な勢いで押し寄せてその町に襲いかかり、ほとんど痕跡を留めないまでに破壊してしまった。」

「やはり長浜と称する別の大きい町」というのは、前の文章に「長浜城下で大地が割れた」と書いてあり、区別するためである。そこには「関白殿が信長に仕えていた頃に居住していた長浜と言うところ」という説明もあり、これは1574年(天正2年)に秀吉が築城を開始した琵琶湖東岸の長浜市にある長浜城を指し、若狭湾の長浜との区別をはっきりさせている。


吉田兼見『兼見卿記』[22]
「廿九日地震ニ壬生之堂壊之、所々在家ユ(ア)リ壊数多死云々、丹後・若州・越州浦辺波ヲ打上在家悉押流、人死事数不知云々、江州・勢州以外人死云々」

丹後・若州(若狭)・越州(越前)沿岸を津波が襲い、家々はすべて押し流され、死者は無数であった。[23]

☆クラッセ日本教会史』(1689年)[24]
「若狭の国内貿易の為に屢々(しばしば)交通する海境に小市街あり。此処は数日の間烈しく震動し、之に継ぐに海嘯(かいしょう、津波)を以てし、激浪の為に地上の人家は皆な一掃して海中に流入し、恰も(あたかも)元来無人の境の如く全市を乾浄したり」

これには津波若狭湾を襲ったのは、旧暦11月29日ではなく、その後の連動地震(または誘発地震)による津波であったとしている[25]。

☆『イエズス会日本書翰集』
「若狭の国には海の近くに大変大きな別の町があって町全体が恐ろしいことに山と思われるほど大きな波浪に覆われてしまった。そして、その引き際に家屋も男女もさらっていってしまい、塩水の泡に覆われた土地以外には何も残らず、全員が海中で溺死した。」

*この史料、枝野さんに送っておきました。