苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

進むべきです

                  ピリピ書3:1−16
                  2011年9月11日
                  小海キリスト教主日礼拝説教抜粋

 ユダヤ主義の偽教師たちは、割礼を受けてユダヤ人となり、もろもろの儀式律法を行なうことが救いに必須であると教えていた。彼らは選民であることを誇り、律法を持っていることを誇っていた。彼ら偽教師に警戒せよとパウロは言う。パウロは選民としての自負と、律法を厳格に行なってきたことについてならば誰にも負けなかったが、キリストを知ったとき、それらの誇りはパウロにとってゴミに過ぎなくなった。キリストの恵みがあまりにもすばらしかったからである。
  キリストの中にある者とされたことつまり、いつも神がともにいてくださるというインマヌエルの事実が、過去・現在・未来に通じる救いの根本である。キリスト者の人生は、神から贈り物としていただいたキリストの義によって、キリストのうちに入れられたことにことに始まり、未来はキリストのように復活させていただくことによる完成を目指して、今、キリストの苦しみを経験しつつ喜びに満ちて進む。
  キリスト者の人生において、私たちにはそれぞれ霊的な成長の段階がある。人と比べて劣等感をもってあせる必要はないし、自己満足して怠けてはならない。「それぞれの達したところを基準として進むべきです」とパウロはいう。後ろのものを忘れ、ひたすらに前を向いて、キリストのかたちが内になることを目指して一心に前進する。すでにキリストがあなたを捕らえてくださっているのだから。


  蕎麦(ソバ)の畑