「わたしはデカルトをゆるすことができない。かれは、その哲学全体の中で、できれば神なんかはなしですませたいと、思ったことだろう。しかし、世界に動きを与えるために神に指でひとはじきしてもらわずにはいられなかった。そのあとでは、もう神なんかに用はなかったのだ。」B77、L語録2
デカルトは宇宙の運動を説明するために渦動説というものを唱えていた。宇宙のあらゆる事物はあたかもひとつの機械のなかの歯車が、互いに影響を及ぼしあって全体が運動しているように、運動しているというのである。しかし、機械全体が動くためにはその最初の歯車を動かす者が必要である。それが神だというわけである。
ある人は、デカルトの体系には神がいるじゃないか。彼もまた有神論者ではないかとホッとするだろう。パスカルは、しかし、デカルトにとって神はただ彼の哲学体系を満足させるための手段にすぎないのだということを見抜いていた。張り子の虎がデカルトの「神」なのだ。
では、パスカルの出会った神とは・・・。
「‥アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神。
哲学者および識者の神ならず。
確実、感情、歓喜、平穏。
イエス・キリストの神。
わが神、すなわち汝らの神。
汝の神はわが神とならん‥」(メモリアル)
庭の白樺の木に来たゴマダラカミキリ