「ウジヤ王は神を認めることを教えたゼカリヤの存命中は、神を求めた。彼が主を求めていた間、神は彼を栄えさせた。・・・彼の名は遠くにまで鳴り響いた。・・・
しかし、彼が強くなると、彼の心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた。彼は彼の神、主に対して不信の罪を犯した。彼は香の壇の上で香を焚こうとして主の神殿にはいった。・・・主の神殿の中、香の壇のかたわらで、突然、彼の額に重い皮膚病が病が現れた。・・・主が彼を打たれたからである。」歴代誌下二十六章
ウジヤは、古代ユダ王国の名君だった。十六歳で王となったウジヤは謙遜にご意見番ゼカリヤのことばに耳を傾けた。彼の前半生は、内政も外交も祝福され、彼の名はオリエント世界に広く鳴り響くまでになった。
だが、やがてゼカリヤが亡くなると、ウジヤは己が業績をふりかえり自己満足にふけるうち、その心のなかに高慢が芽を出し、成長し、そして、天下に自分の権力のおよばないところはあってはならぬと考えるまでになった。実は、王国の中にただ一つ王の権力が入り込むことを許されていない所があった。それは、主の神殿であった。主の神殿で香をたくのは祭司の務めと聖書に定められていたからである。
しかし、増長したウジヤは、祭司たちが止めるのも聞かず、主の神殿にずかずかと入り込み、香をわしづかみにした。その瞬間ウジヤ王は主に打たれた。彼のひたいに恐ろしい皮膚病が現れた。彼はその後、生涯いやされることなく、隔離されて暮らし、そして死んだ。まさに、「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。」(箴言十八:十二)
聖書によれば、裁判所であれ、政府であれ、国会であれ、この世の権威は創造主なる神が立てたものである。ゆえに私たちはこれらを尊重しなければならない。しかし、この世俗の権威に託された仕事には限界がある。彼らに委ねられた仕事は基本的には社会秩序の維持と不平等の抑制である。そのために国家には警察と徴税の務めがゆだねられている。
けれども、この世の権威に許されていないことがある。それは宗教に癒着したり介入したりすることである。ウジヤ王は、聖なる領域への侵犯をして神に打たれた。しかし、歴史を振り返ると古代から現代にいたるまで権力と宗教とはしばしば癒着し、多くの悲惨な結果をもたらしてきた。権力者は宗教を利用して国民を束ねて、自分の望む方向へと誘導するということを繰り返してきた。そういう振る舞いをする権力者に力を与えているのは竜(悪魔)であると黙示録は述べている。
「わたしの見たこの獣はひょうに似ており、その足はくまの足のようで、その口はししの口のようであった。龍は自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた。」(黙示録13:2)
独裁者気取りの大阪府知事を代表とする維新の会の暴挙を見て、筆者は、ウジヤの華々しい前半生と、悲惨な晩年を思わずにはいられない。
青いサルビアだそうです。今朝、散歩で家内に教えてもらいました。