苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

牛すき弁当

 6月末、奈良に出かけたとき、新幹線で「牛すき弁当」を食べた。意外にうまかった。特に肉好きというわけではないのだが、たまにこういうものを食べたくなる。ところがおとといの報道を見ていたら、あのJR東海の「牛すき弁当」がニュースに出ている。福島県産のセシウム汚染の牛で作られていたとのことである。すでに50歳を越えて放射能に鈍感な筆者にとっては、そして、父母とも癌になった筆者にとっては、別にどうということはない。あの牛すき弁当は、ニュージーランド牛でなくて和牛でできていたからうまかったのだとわかった。
 放射性物質を浴びた稲藁をえさとして食べた福島・宮城の牛たちの肉が、日本中45都道府県にたくさん流通している。これからほかの県の名前も次々と報道されることだろう。特にいまさら驚くべきことではない。放射性物質で汚染された牛は、原発事故の後、あちこちに移送されたということが報道されていたからである。チェルノブイリのとき、スイスでは危険な地域にいた牛がみな殺処分されたし、宮崎の口蹄疫の時にも日本政府は厳格にこれに対処したので、福島原発事故でも政府は同じような対応をするのかと思っていたら、そうではなかった。放射能汚染の規模は、口蹄疫のばあいのように封じ込めることができる程度のものでないことを政府が認識しているのだと思った。
 あたりまえのことだが、放射能に汚染されているのは福島の牛だけではない。量の多少の違いはあるけれども、日本列島全体に放射能は降り注いだのであるから、3月11日以降、程度の差こそあれあらゆるものが被曝している。今日は宮城県の牛のことが言われていた。また牛だけでなく豚や鶏や魚や野菜や米についても今後同じような報道が続くのだろう。これは受け入れざるを得ない事実である。村上春樹氏が言っていたように、日本人は無常を知る民族として、得意の「しかたない」で受け入れていくのだろうし、受け入れざるをえまい。
 

   (小出裕章氏による)
 
 ただ広く知られることになったように、放射能に対する感度は、新陳代謝が活発な子どもや若者は高いけれども、五十歳にもなればほとんど害を受けないのであるし、小出先生流にいえば大人のように原発を選んだ責任のない子どもや若者には極力放射能をからだに取り込むことを避けさせてやるべきである。というわけで、大人はおいしい和牛を食べて、子どもや若者には歯が丈夫になるようなニュージーランド牛を食べさせるということになろうか。じゃあ輸入野菜や輸入肉はみな安全かといえば、放射能よりも農薬を心配するほうが大事だったりもするのである。ただ手をかけお金をかけて育てても和牛ブランドでは現状値段がつかなくなっていて、畜産農家は苦境に立たされている。同じ国に住む者として和牛が安くなったと喜んでいるばあいではない。
 とはいえ、世界の飢餓地帯に置かれた、きょうの食料に事欠く子どもたちのことを思えば、食べられるだけ感謝ということももうひとつの忘れてはならないたいせつな事実なのである。

注>表はhttp://blog.livedoor.jp/hirezake_nomitaiyo/archives/1567342.htmlから。




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