「また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。」(2コリント6:8−10)
使徒パウロは、自分たちについてさまざまな評価をする人々がいるが、人がどのように言おうとも、自分たちは神のしもべだと述べている。
特に心にとまったのは「悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり」という表現。身を捨てて伝道者の務めを果たしていても、邪推して悪評を立てるコリントの人々に対する悲しみがあった。同胞のユダヤ人たちがイエスを受け入れずにいることに対する悲しみもあった。自分自身、キリストのかたちを目指して生きていながら、からだのなかに巣食うアダム以来の罪ゆえに、思いとことばと行いにおいて、罪を犯してしまうことについて、主に対して申し訳ないという悲しみもあった。しかし、同時に、使徒の心のさらに深いところからあふれる喜びがあった。イエス・キリストにあって、神の前の罪がすべて赦され、神が自分のような神に敵対した者をわが子として迎えてくださったことに対する喜び。
神を畏れるキリスト者の人格のうちには、深い悲しみと豊かな喜びがともにある。世田谷の通りを夕方のせまる時間帯に、ある人が、子どもを二人後部座席にのせて走っていた。すると、1人の子が「安藤先生、とっても嬉しそうな顔をしていたよ」と言い、もう1人の子が「ちがうよ。安藤先生、とっても悲しそうなお顔そしていたよ」と言ったという文章を読んだことがある。もう三十年ほど前、天に召された安藤仲市牧師についての文章である。たしかに、喜びにあふれた、しかし、深い悲しみを湛えた、そういう先生だった。
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