苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

聖霊と宣教

使徒1:8 2:1−21
2012年5月27日 ペンテコステ主日礼拝

1 主の宣教プラン

「1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレムユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
エス様は、ここで宣教のプランと宣教の力を与えてくださる聖霊について弟子たちに話されました。世界宣教のプランとは、「エルサレムユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで」という三段階のひろがりのことです。今、あなたがたが立っているこの町エルサレム、次に、ユダヤとサマリヤの全土というのは国という範囲、そして、「地の果て」とは異邦人の世界への宣教ということです。
 私たちに当てはめて言えば、この私たちが通ってくる佐久・南佐久あたりがエルサレムに当たるといえましょうか。ユダヤとサマリヤの全土とは信州宣教区と日本宣教という範囲。そして「地の果て」は世界宣教という広がりといえばよいでしょう。この三つの広がりにおける宣教の使命を意識しながら、私たちは宣教に励んでゆくべきことが教えられています。
 まず地域に根ざして行くこと、この地域にキリストの福音を満たし続けることが大事です。この地域のすべての人にキリストの福音を知らせ続けることです。地域に徹していくこともなく、日本宣教、世界宣教のみを語っているのは机上の空論にすぎません。自分の身の回り隣近所の方たちにキリストをあかしすることなくして、信州宣教区・日本宣教・世界宣教について雄弁であってもむなしいことです。この南佐久郡、佐久、あなたの隣人に福音を満たすこと、あふれるまでに満たすことです。そのために、通信小海を続けているわけですし、また家庭集会を開いています。

 こうして地域に根ざしつつ、地域を超えて宣教していきます。地域に根ざすといっても、地域エゴイズムやマイチャーチ主義に陥って、イエス様の視野の広がりを忘れてはなりません。「畑は世界である」(マタイ13:31)とイエス様はおっしゃいました。
信州の多くの教会は小さな群れですが、それでも、みんなで協力し合って塩尻の開拓伝道のために祈りささげ支えているわけです。先日の報告では、塩尻聖書教会には礼拝者が加えられて来ていて、去年春頃は牧師夫婦だけでしたが、今、礼拝は6名ほどで求道者も続けて見えているということで、感謝なことです。
 同盟教団では教団レベル開拓伝道、宣教区レベル開拓伝道、教会レベル開拓伝道ということを進めてきて、教団レベルでは群馬県高崎の開拓伝道を皮切りとして、北九州市、東広島、福岡、仙台・・・と進めて来ました。現在、愛媛、盛岡、宮崎、山形で開拓伝道が進められていて、今年三月には山形で開拓伝道している武藤牧師が報告に来てくださいました。これらの教団レベル開拓は、県庁所在地かそれに準じる都市で進められることになっていて、そこを拠点としてさらに周辺に福音を届けて行くことを目指しています。こうした開拓伝道を支えるのは、全国の同盟教団に属する諸教会の国内宣教献金祈りです。
  さらに、「地の果てまで」とイエス様はおっしゃいました。西の「地の果て」とはローマとかイスパニアを意識しただろうと思います。南は、伝道者ピリポによってアフリカのエチオピアの宦官に福音が伝えられ、ごく最近までエチオピアキリスト教国でした。東を見れば、地の果てはペルシャ、インドからさらに中国そして東海に浮かぶ日本列島です。
 キリストの福音は、このようにして、地域に根ざしつつ、地域を超えてゆくものなのですね。キリストの福音が伝えられて、世界中の人々の中から民族も国語も肌の色も文化も超えて、キリストの羊たちが召しだされて、キリストにあってひとつの神の家族、つまり、聖なる公同の教会となっていくのです。
 エルサレム、ついで、ユダヤとサマリヤの全土、そして、地の果てまで、この三つの視野をもって私たちも宣教の使命を果たしてゆきたいものです。

2 聖霊

 こうした宣教は、掛け声だけでは実行できません。主はよくご存知ですから、聖霊を与えようと約束してくださいました。では、聖霊が注がれるということはどういうことなのでしょうか?どういう人々に聖霊が注がれ、何が起こるのでしょうか?

(1)福音はすべての国語に

「2:1 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。 2:2 すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。 2:3 また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。 2:4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
  2:5 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、 2:6 この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。
2:7 彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。 2:8 それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。 2:9 私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、 2:10 フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人たちで、
2:11 ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」

 福音は、その母語で聞かせてもらうということが大事なのですね。祭りのためにエルサレムに集った人々は、恐らく当時のこの地域の共通語であったアラム語とコイネーギリシャ語の二つを理解できたと思われます。けれども、聖霊に満たされた使徒たちは、「パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、 2:10 フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人」のことばで話したのです。
このことを思えば、聖書翻訳の働きはたいへん意義深いことなのです。1988年以来、同盟教団の中村孝宣教師夫妻はパプア・ニューギニアに聖書翻訳宣教師として出かけています。先生たちはパプアのマイワ地区というところにはいって、その部落の1500人ほどの方たちが用いているマイワ語ということばに、新約聖書を翻訳してきました。そして、ついに23年の歳月をかけて完成して4月にその新約聖書の献呈式が行なわれました。そのスライドを先日見せていただいたのですが、実に感動的なものでした。中村先生たちは、まずマイワの部落にはいって、その言語を聞いて、その文法を分析して、マイワ語に適切な文字をつくって、その部落の人たちに文字教育をしながら、聖書翻訳を続けてこのたびついに完成されたのです。

(2)聖霊はすべての信徒に注がれる
「2:12 人々はみな、驚き惑って、互いに「いったいこれはどうしたことか」と言った。
2:13 しかし、ほかに「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ」と言ってあざける者たちもいた。  2:14 そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。
2:15 今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。2:16 これは、預言者ヨエルによって語られた事です。
2:17 『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。
  すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
2:18 その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。
  すると、彼らは預言する。』」

 旧約時代にも聖霊のお働きはありました。王、祭司、預言者といった特別な職務につく人々に対しては、神の霊が下ったという記述が旧約聖書のあちこちに見られます。けれども、旧約時代にはすべての神の民に聖霊がくだったわけではありません。しかし、預言者ヨエルは、メシヤが来られる終わりの時代が始まったら、神様は祭司や王や預言者だけでなく、すべての神の民に霊を注ぐと約束なさったのです。『息子、娘、青年、老人、しもべにも、はしためにも』聖霊を注ぐとお約束くださいました。すると、彼らは預言をするのだというのです。
 「預言」というのは神様からあずかった言葉を語るという意味です。つまり、伝道をし、証をするという意味です。使徒の1章のことばでいえば、キリストの証人となるということにほかなりません。信徒がみな聖霊を受けて証言する力を得たからこそ、世界のあらゆる人々への宣教が可能となったのですね。すべての信徒が、神様のことば福音を語ることができるようになって世界への宣教が可能となったのですね。
ペルシャに福音をもたらした最初の使徒はトマスで35年にはペルシャに行っています。けれども、最初に福音をもたらしたのは、使徒の働き2章9節に出てくるパルテヤ人の改宗者たちでしょう。彼らはペンテコステにキリストを受け入れて、故国に帰ってゆきました。使徒トマスはその後でした。さらにトマスはその後、52年にはインドに到達しています。彼はこの地で盛んに伝道し、迫害のなかで一粒の麦となって殉教しますが、2、3世紀には西インドで相当規模の教会ができていたことがわかっています。
中国の公式記録文献で確認できることとしては、ペルシャからアラボンという名の宣教師が皇帝のもとに派遣されたのは635年のことです。中国は唐の時代で、皇帝は名高い太宗皇帝です。太宗は中国語に翻訳された経典を読んでたいそう感心し、638年に中国におけるキリスト教の布教を許したので、都長安をはじめ中国全土に教会(大秦寺)ができました。以後、中国では200年間布教が許されました。
しかし、ごく近年、中国で遺跡の発掘がされて、もっとごく早い時期、1、2世紀のキリスト教徒の墓が発見されたという報道を読みました。宣教師が行く前に、すでに商売のためにシルクロードを西域に行き来していた中国人がキリスト教徒になっていたのですね。宣教師が来る前に聖霊が注がれた信徒がキリストの証人としてここにも生きていたのです。宣教師や牧師が出かけて、礼拝堂が建つ前に、キリストを信じる人がそこで暮らして近所の人を招いてイエス様のことを伝えていたようです。

 先日、同盟教団の会議が松原湖バイブルキャンプで開かれました。そのなかで、趙南珠先生がこんな発言をなさったのです。先生は1988年、5人の韓国婦人の招きがあって日本川崎市で開拓伝道を始めて、今は川崎の駅のそばに招待キリスト教会という名前の群れを導いていらっしゃいます。趙先生は、日本で伝道を始めて以来、ご自分から未信者とコンタクトをつくって人を導いたことが一度もないとおっしゃるのです。そのように努力したけれども、牧師というのは、この世から隔離されたような立場であるので、コンタクトの作りようがなかったというのです。では、どのようにして伝道できたかというと、信徒の方たちが趙先生のところに、教会に人々をつれてきてくれたのだというのです。また、信者も忠実な信者になって教会の奉仕に打ち込み、クリスチャンの交わりを大切にするようになって役員などになると、この世の人々との交友関係がなくなってしまって、未信者に伝道することができなくなってしまう。この世との接点がある方たちというのは、求道者であったり、洗礼を受けてまもない方であったりするのが現実です。だから、この方たちとの関係のある方たちに伝道をしていくことが大事だと悟ったとおっしゃっていました。それで、数年前から趙先生の教会では、「家の教会」という小グループを作って、その集会に人をまねくことを新たな伝道方策とするようになりました。
やっぱり聖書が言っているとおりなのですね。聖霊が牧師や宣教師だけでなく、すべての信者に注がれて、預言者・伝道者になったことが、宣教の力なのです。最初ペルシャにまでキリストの福音をもたらしたのは、ペンテコステの日、キリストの福音を聞いた人々だったのです。

(3)再臨と福音
 続くことばは恐らく主イエスの再臨直前の終末的なしるしを意味しているようです。
「 2:19 また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。
  それは、血と火と立ち上る煙である。
2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。」
 再臨の迫るときに、キリストの福音を宣べ伝えてゆかねばなりません。キリストの福音がすべての民族国語にあかしされて、そして、世の終わりが来るのです。そのキリストの福音とは、「2:21 しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。」です。つまり、「イエス様助けてください!」と心から呼ぶ人は、イエス様が救っていただけるのです。時間があれば、神論、人間論、キリスト論、聖霊論、終末論などいろいろ説明すればよいのですが、福音をぎりぎりまで煮詰めるならば、「主イエスの名を呼ぶ者はみな救われる」です。だからむずかしく考える必要はありません。
 とにかく、「『イエス様』と心から呼べばいいんです。」と伝えてください。私がお年寄りなどに伝道するときは、まさにこれです。あれこれむずかしいことをお話すると、焦点がぼけてしまいますから、最初に、「ばあちゃんむずかしいことじゃないんですよ。「イエス様」と呼べば救ってもらえると聖書に書いてあります。」と話して、いろいろ説明して、最後にもう一度「じゃあ、いっしょに『イエス様』と呼びましょう。」というのです。
 「教え」は大切ですが、人を救うのは「教え」ではなく、生けるイエス・キリストなのです。