(近現代教会史3 敬虔主義運動と世界宣教については、もっと勉強して考え方が固まってから公開するつもり。これには帝国主義(植民地主義)と宣教活動がからみあっていて、簡単に評価も批判もしがたい。)
序 「自由」とは
ここで自由ということばを取りあげておきたい。先に「信教の自由」に関連して、自由は「何からの自由」と「何への自由」によって、内容がはっきりすると述べた。
啓蒙主義者のいう自由と、国家教会主義に反対した自由教会主義者のいう自由とには、表面的類似性と本質的相違がある。表面的類似性は、双方ともに権力の束縛からの思想信条の自由を目指しているという点である。他方、両者の本質的相違とは、啓蒙主義者は理性の自律への自由を目指し、自由教会教会主義は神のことばへの服従を目指しているということである。啓蒙主義者は中世的旧体制のもろもろの偶像に代えて、理性という偶像を持ち出した。他方、自由教会主義のキリスト者は国家であれ理性であれ、いかなる偶像も拒んで、神のことばに従うことを目指しているのである。
自由教会とは、ヨーロッパにおいてローマ教会の束縛や、絶対王政の下の国教会の束縛からの自由を求めた教会である。つまり、政教分離の立場を堅持している教会という意味である。イングランドから米国にわたったピューリタンたちは、本来そのような意味でもともと自由ということばを用いていた。
けれども、米国における自由教会は教会を抑圧する国教会がそもそも存在しないので、自由ということばを伝統や規則が緩やかなという意味で用いたり、有料座席制度に反対するという意味で、つまりfreeつまり無料であるという意味で用いたりされている。自由メソジスト教会の「自由」は、無料メソジスト教会の意味である 。福音自由教会における「自由」とは個々の地域教会の国家権力や教団組織の権力からの独立local autonomyを意味している。
では自由主義神学における「自由liberal」は、何からの自由を意味しているのか。それは歴史的・組織的な教理体系から自由という意味である。また、聖書の啓示からも自由であるということである 。
1 自由主義神学:「頭は科学、心は信仰」−カント、シュライエルマッハー、リッチュル
(1)インマヌエル・カントImmanuel Kant,(1724年- 1804年)
十八世紀の啓蒙主義は自然も人間も自動機械と見なした。十九世紀、その無味乾燥な合理主義に対してロマン主義が起こる。その神学版が自由主義神学である。そういうわけで、ロマン主義には汎神論的雰囲気が強いが、かといって、ロマン主義者は決して啓蒙主義の理性を捨てたわけではない。むしろ、頭で科学を用い、心でロマンを語ろうという二元論である。これを哲学の分野で行ったのがカントである。カントは科学的な認識は感覚を通して得られる経験の世界においてのみ可能であるが、神・魂・自由は感覚的に経験できないので、科学的理性は現象界にのみ有効で、道徳や宗教は扱えないとした(『純粋理性批判』)。
カントは、神の存在は科学的には証明できないとするが、道徳的な要請として神の存在を肯定する。神が存在せずさばきもないとすれば、人は善行にはげむ気持ちになれないから、神が存在することにしようというわけだ。カントの宗教とは道徳宗教であり、彼の理想は倫理的な目的の王国だった(『実践理性批判』)。
カントの「科学と信仰の二元論」は、敬虔主義的な雰囲気の家庭に育ったことが背景にあるとも考えられる。敬虔主義は、ルター派正統主義の客観的教理主義への反動として始まった。敬虔主義は、信仰の本質を学問的なものではなく、主観的で生き生きとした神との交わり・体験を重んじた「心の宗教」であった。カントにとっては、もともと科学と信仰は別世界のものだったのである。
(2)シュライエル・マッハーFriedrich Daniel Ernst Schleiermacher(1768−1834)
「自由主義神学の父」シュライエルマッハーはカントの「科学と信仰の二元論」を枠組みとした。彼もまた敬虔主義のヘルンフート兄弟団の学校を卒業し、敬虔主義のハルレ大学に学んだという敬虔主義の子であるが、長じてカントの影響を強く受け、さらにギリシャ古典に深く親しむ。彼は、「宗教の本質は思惟でも行為でもなく、直観と感情である 」とした。特に「絶対依存の感情」といいならわされる。「絶対依存の感情」によって人は「宇宙」「無限」「一者」という超越的実在を直観し、自分自身もそれに含まれていることを知るという。信仰者は、直観によって無限者に合一する神秘的体験をする。
また、彼は、キリストの十字架の死がわれわれの罪のために神の怒りを受けられた刑罰死であったことを否定し、キリストの血による贖いを魔術的であるとして否定する。こうしてみてくると、自由主義神学の父シュライエルマッハーの宗教とは、「すべては神」という新プラトン哲学やスピノザの哲学的宗教のような汎神論・神秘主義の系譜に属するものであって、聖書がいう伝統的なキリスト教とは異質の宗教である。
(3)アルブレヒト・リッチュル(Albrecht Ritschl)
リッチュルはカントの哲学を神学の土台とする。彼は科学と信仰の二元論を聖書研究に適用し、聖書を超自然的啓示の書としてでなく単なる歴史資料として扱う。すなわち、福音書は神話的に書かれたものだとし、ここから「史的イエス」を抽出し、イエスの倫理的人格を神の愛の歴史的な啓示であるという。リッチュルにとってイエスは罪と死からの救い主でなく、人類にとっての最高の倫理の教師にすぎない。イエスの述べた神の国とはカントのいう倫理的な目的の王国と同一視されてしまう。「人間イエスにおいて神の子たるキリストの神性の働きの効果を見ようとする。そして、周知のように人間イエスの崇高な道徳性と、イエスの教えた隣人愛に基づいた人類共同体としての神の国こそが、リッチュルにとっては神ヘ至る唯一の道となったのである。」(野呂芳男)
みなが人間イエスをモデルとして倫理的に完成された立派な人になり、隣人愛を実践することによって倫理的な社会が実現する。それが、すなわち神の国だという。自力でイエスのまねができるという楽観的人間観、楽観的歴史観が自由主義神学の特徴である。
(4)カントの認識論の枠組みの問題性
科学的理性は現象世界を扱い、神や魂や自由にかんすることは心の問題である。そういわれると、なるほどと納得してしまうのが多くの現代人ではないだろうか。つまり、多くの人は知らずしてカントの影響を受けてしまっているのである。聖書の高層批評にも、カントの科学と信仰の二元論が働いている。つまり、聖書というテキスト自体は現象世界の文化現象にすぎないので、聖書は科学的方法をもって取扱うべきであり、信仰の世界は別に確保するという構造である。しかし、彼らのいう「科学的」というのは、実は「自然主義的」ということなのだ。アルカホリズム(アルコール中毒)患者にとって、アルコールがすべてであるように、自然主義の信奉者にとっては自然がすべてである。自然はその創造主である神さえも介入できない閉鎖した系なのである。だから自然主義者から見れば、神が自然に介入して起こる奇蹟も啓示などはありえないのだから、聖書の奇蹟はみな架空の神話的表現と見なされるし、事後預言はあっても事前の預言はありえないという前提に立って年代決定はなされる。
カントの神は、信仰・宗教の世界に閉じ込められていて、自然つまり現象界に介入して奇蹟を起こすことも啓示することもできない、死んだ神なのである。彼の枠組みによれば、現象世界に起こることがらはすべて自然現象であり文化現象なのである。したがって、カントの認識論の枠組みにしたがう聖書学者たちは、聖書も現象世界に生じたひとつの文化現象・歴史文書としてあつかうわけである。たとえば、多神教は森林が豊かな風土に生まれたが、唯一神という観念は砂漠のような過酷な砂漠の環境が唯一神という観念を生み出したのだなどという和辻哲郎『風土』にあるような説は、その典型である。この説はなんとなく、もっともらしいと思う人が多いかもしれないが、実際にはムハンマドがイスラムの教えを説き始めるまでアラビアの過酷な砂漠地帯では多神教が広く行なわれていたし、エジプトでも古来多神教が行なわれていたのだから、ただ旧約聖書に唯一神が啓示されたのである。和辻の説は架空の話で根拠はない。
それはさておき、主イエスは合理主義のサドカイ人たち対することばを、啓蒙主義キリスト教を唱えた哲学者や自由主義神学者に向かっておっしゃるだろう。「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからではありませんか。」(マルコ十二:二四)