苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

復活の主、慰めの主

                使徒20:1−12
                 2010年11月17日 小海主日礼拝

 1節から5節にパウロの移動の経路が記されています。少しややこしいので整理すると、
<エペソ→マケドニヤ→ギリシャ→マケドニヤ→トロアス>となっています。

(1-5節)
というわけで、本日の箇所はトロアスでの出来事です。トロアスは、先にも出てきた地名です。第二回伝道旅行のとき体調を崩したパウロは、マケドニア半島に面するトロアスで、ギリシャ人医師ルカと出会いました。そして夢の中でマケドニヤ人の叫びを聞いて、ヨーロッパ宣教へと主が導いていらっしゃると確信を得たのでした。というわけで、トロアスの町はパウロにとってはヨーロッパ宣教に旅立った印象ふかい地であって、この地にはすでに何人かの主にある兄弟姉妹たち、つまり教会が形成されていたようです。

1.週の初めの日

 紀元後56年、季節は「種無しパンの祭りの祝いが過ぎてから」とあります(6節)。今で言えば4月後半ということになります。パウロはピリピを船出してトロアスに向かいますが、風向きがあまりよくなかったせいで、通常2日の旅程に5日かかって到着しました。そして、ここトロアスで七日間滞在したのです。七日目までと決めていたのは、7節に記されるところの目的があったからです。
 パウロとしては、もう二度とこのトロアスの教会を訪ねることはないであろうということを予感していましたから、パウロは「週の初めの日」を待ってパンを裂くために集まったのです。
 「週の初めの日」とはいうまでもなく、日曜日です。旧約の時代、創世記の最初の日から一週七日間のうち聖なる日は、第七日目つまり土曜日でした。しかし、イエス様は金曜日に十字架にかけられて、それから三日目の週の第一日目日曜日の未明によみがえられました。そして、主イエスは、その後天に上る前の40日間地上におられたのですが、その間、弟子たちに出現なさったのは、毎度、週の初めの日でした。ヨハネ20:1、26。
そんなわけで、初代教会では週の初めの日を聖なる日として認識するようになりました。初めは週の終わりの日の安息日をもユダヤキリスト者たちは守ろうとしたようですが、そのうち、ユダヤ教の会堂に受け入れられなくなっていき、新約時代の公同礼拝日は週の始まりの日と定められることになります。主の日は、旧約時代の安息日のように、ことばで週の初めの日と定められたわけではないのですが、イエス様の行動によって、聖なる日は週の始めの日と定められたということです。
 そんなわけで、キリスト教会は週の初めの日を聖なる日として認識して、今日にいたるまで日曜日の礼拝を千数百年間にわたってこれを守ってきたわけです。18世紀フランスで、反キリスト教運動をしたヴォルテールは「もし日曜礼拝を教会に止めさせることができれば、教会をつぶしてしまうことができる」といったそうですが、教会は二千年の時をこえて週の初めの日の礼拝をささげ続けてきたのでした。

2.パン裂きとみことば

 パウロたちが週の初めの日に集った目的は、聖餐式を執り行うためです。もう二度と、この地上では顔を見交わすことも、声を聞くこともないであろうという夕べでした。このときに、パンを裂き、神のことばをともに味わうほかに何かすることがあるでしょうか。おごそかな最後の晩餐の定めのことばを思い起こしましょう。(1コリント11:23-26)
 一つのパンが裂かれるのを見て主イエスが私たちの罪のためにからだを裂かれたことを思い出して、これをともに食し、赤いぶどう液に主イエスが私たちの罪のために流してくださった血潮を偲びつつ一つの杯からわけあうとき、ともに主イエスの十字架のもとで赦され、愛されたもの、キリストのいのちにともにつながるお互いとして結ばれていることを確認するのです。主の晩餐は、御霊のお働きによって、信徒たちを天にいますキリストに結びつけ、地上にあるお互いを結びつけるものとなります。
  明日は旅立ちです。パウロ先生から神のことばを聞くことができるのも、これが最後であると思えば、耳傾ける兄弟姉妹は格別熱心で、話す側のパウロの話は深夜にまで及びました。ゆらゆら揺れるろうそくのともし火のなかで、どこまでもどこまでも続きました。パウロは、あのことも話しておきたい、このことも話しておきたいでしょう。また、トロアスの兄弟姉妹にしても、あのことも聞いておきたい、このことも聞いておきたかったのです。ともに主のみからだである聖餐にあずかり、ともに主のみことばを聞くという、この交わりこそキリスト教会の交わりです。
 教会とはなにをするところなのか。ぎりぎりに煮詰めていえば、教会とは主のみことばに聞き、ともに主の聖餐にあずかるのです。それが教会の交わりと言うものです。この大事なことを、私たちはもう一度しっかりと腹に収めておきましょう。そういえば、宗教改革者たちは、多様な儀式、巨大な組織となった中世の教会に訣別して、もう一度本来的な教会を建て上げようとしたときに、真の教会の最小限のしるしとはなんであるかと聖書に尋ね求めました。そして、真の教会のしるしとは二つ、すなわち、みことばの正しい説教と、正しく聖礼典(洗礼と聖餐)が行なわれていることであると確定したのです。
 
3.ユテコ

 さて、この屋上の間、三階に集ってきていたトロアスの兄弟姉妹たちのなかにユテコという青年がいました。ユテコeutychosという名前は、グッドチャンスくん、日本語で言えばいまはやりの名前「コーキ(好機)くん」とでも訳せる名前です(eu+tygchano)。初代教会の多くの兄弟姉妹は身分の低い労働者であったのですから、ユテコもそうした一人だったのでしょう。日曜日といっても、当時は休日にする習慣などはなかったのですから、雇われた奴隷や使用人の立場にある者としては、当たり前のように朝から晩まで仕事をして、日が暮れてからこの屋上の間に来て、他の兄弟姉妹といっしょにパウロ先生の話を聞いていたわけです。
 ところが、この屋上の間には人が入れるだけ入ってしまって、座る場所も足りないほどでした。しかも、「私たちが集まっていた屋上の間には、ともしびがたくさんともしてあった。」とありますから、炭酸ガスが充満していったのでしょうね。一日目いっぱい働いたユテコは眠気がさしてきました。でも、これがパウロ先生から聞くことができる最後の説教だと思うと、眠ってはいけない、起きていなければいけないと一生懸命になって、眠気をさますために窓際にすわったのでしょう。
 けれども、気持ちよい夜風がさらによくなかったようで、ユテコは窓際でこっくりこっくり舟をこぎ始めます。でもなかなかパウロ先生の説教は終わりません。ピリピ教会あてのパウロの手紙には、「では最後に」という口癖のようなことばが2度出てきますが、このトロアスの夜中の説教もそうだったのでしょうね。「最後にこれだけは言っておきたい」と言うので、これで終わりかと思うと、また「最後にこれだけは・・・」とパウロは説教をしました。
 とうとうグッドチャンスくんはぐっすり眠り込んでしまい、ぐらっとからだが揺れると三階の窓から外に落ちてしまったのです。ドサッという音がして、皆がいっせいに先ほどまでユテコのいた窓を見ると姿はありません。さあ大変。みなは大騒ぎになって、窓から下をのぞくと下の暗がりを透かして見るとユテコはぴくりとも動かないようです。階段をどかどかと下りてみると、もうユテコは息もしていません(9節)。医者のルカが、ユテコは死んだと診断しています。みなは驚きと悲嘆にくれようとしています。そこに、パウロはあわてず騒がず、おもむろに降りてきました。そして、ユテコ好機君の上に身をかがめて、抱きかかえます。すると、不思議、ユテコのうちに主イエスがいのちを返してくださいました。心臓はふたたび脈打ち始め、ユテコは息をし始め、目をぱっちりさましました。奇跡です。パウロは言いました。「心配することはない。まだいのちがあります」と言いました。
 不運な出来事でありましたが、主の起こしてくださった奇跡のゆえに、青年ユテコはこの居眠り転落事件によって、礼拝中居眠りは危険であるという偉大な教訓、あるいは礼拝堂は1階に作るべきだという教訓とその名を後世に残したというわけです。そういう意味ではグッドチャンス、好機君だったということになるでしょうね。まあこれは冗談ですけれど。

 それにしても、パウロは、まったく動じませんね。石打の刑にされて、なお生き抜いてきた伝道者にとっては、「なんのこれしきのこと」だったのかもしれません。パウロは、ユテコが生き返ると、ほかの兄弟姉妹たちを連れて、まるで何事もなかったかのように、また屋上の部屋へと上がってゆきます。でも今度はだれも窓際に座ろうとはしなかったでしょう。
そして、いよいよ聖餐式です(11節)。主イエスの流された血潮とともに、復活された主イエスをひとしお深く思うパン裂きとなったにちがいありません。主イエスが失われた青年の生命を返してくださったからです。主イエスはおっしゃいました。
「 生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。これは天から下って来たパンです。あなたがたの父祖たちが食べて死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。」(ヨハネ6:57,58)
聖餐式には、主イエスの十字架の死ばかりでなく、主イエスの復活のいのちの意味も含まれていたのでした!主イエスのからだ、主イエスの血潮にあずかるとき、私たちは罪赦された恵とともに、復活の希望を新たにするのです。みなは、ユテコの居眠り転落事件と復活の主の聖餐式の感動ですっかり眠気も吹き飛んでしまいました。パン裂きが終わっても、パウロと明け方までずっと話し込んだのでした。そして徹夜明けでパウロ一行は旅立って行きました。
 一方、一度は死んだ青年ユテコはほんとうに大丈夫かと心配されたのでしょうか、明け方、兄弟姉妹はユテコ君に付き添って家にまで連れて行ったのでした。「ほらここにたんこぶできちゃったよ。」とユテコが頭をさすると、「なに言ってるの、そのくらい。君は死んでたんだよ。それにしても、よかったねえ。一度死んだいのちを、主イエスが返してくださったんだよ。」と話しながら。主イエスはなんとすばらしい慰めの主でしょう!

結び
 本日のメッセージは、真の教会しるしとは、なんと言ってもみことばと聖餐なのだということです。教会ではいろいろな営みをします。きょうも楽しいリース作りをしたり、ご飯をいっしょに食べたり、いろいろします。それはそれで良いことですけれど、何よりも教会の中心、生命は、みことばと聖餐なのです。復活の主は、みことばと聖餐において私たちに罪の赦しと、永遠の生命をあきらかにしてくださいます。