苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

中世教会史34 宗教改革の先駆者(1)ドイツ神秘主義

 先に、唯名論教皇神聖ローマ皇帝の普遍的権威の根拠を否定し、各民族国語の独立を促し、教会会議を重視させたという神学的な動きを見た。そして、中世の崩壊について、経済的・政治的背景・ペストの大流行・教皇庁アヴィニョン捕囚といったことを取り上げて話した。今回は宗教改革の先駆的存在として、ドイツ神秘主義ルネサンス人文主義、そして先駆者ジョン・ウィクリフヤン・フスについて見たい。

1.ドイツ神秘主義

 ルターが「聖書とアウグスティヌスを除けば、神、人間、キリスト、万物について、この書以上に教訓を受けたものはほかにない。」と言った書物がある。それはトマス・ア・ケンピスの著書とされる『キリストにならいてImitatio Christi』である。トマス・ア・ケンピス(一三八0−一四七一)は、ヘールト・デ・フローテの<共同生活兄弟会>というドイツ神秘主義の流れに属する、個人的な神への敬虔を重んじる「新しい敬虔」運動のグループに属した人だった。近年の写本調査により、実は、『イミタチオ・クリスチ』はフローテがオランダ語方言で書き直した原本のラテン語訳にトマス・ア・ケンピスが加筆編纂したものであることがわかっている(出村pp290-291)。
 ルターがドイツ神秘主義の深い影響を受け、かつ、それを超えていったドイツ神秘主義について、簡潔にまとめておきたい。

(1) マイスター・エックハルトMeister Eckhart1260-1328
 エックハルトは、トマス、ボナヴェントゥーラの活躍していた時代に、ドイツのチューリンゲン生まれた。1275年頃ドミニコ会に入会し、エルフルト修道院で教育を受ける。1277年にはパリ大学人文学部で一般教育を学ぶ。1280年頃ドイツのドミニコ会ケルン神学大学で神学を学び、アルヴェルトゥス・マグヌスに一年間師事。1293年パリ大学神学部講師。1294年エルフルト修道院院長。1302年 パリ大学にて最高学位マギステルを授与され、パリ大学神学部教授に就任。故郷ドイツではマイスター・エックハルトと呼ばれる。 ドミニコ会ザクセン地方管区長やボヘミア地方副司教等を歴任した。 1322年ケルンのドミニコ会神学大学の責任者、60歳を超えてドミニコ会総長代理に。このように神学者として華々しい経歴を持つ。
 ところが1326年ケルンで神学者として活動していたエックハルトはその教説のゆえに異端の告発を受け、これに対し「弁明書」を提出。 当時教皇庁があったアヴィニョンで同じく異端告発を受けたウィリアム・オッカムとともに審問を待つ間(もしくはケルンに戻った後)に、エックハルトは没した。1327年冬から翌1328年春の間であった。
その死後 1329年、エックハルトの命題は異端の宣告を受け、著作の刊行・配布が禁止された。 これによって彼に関する記録はほとんどが失われたため、歴史の表舞台から消え去ることになる。その生涯は上記の「弁明書」等から再構成されるのみであり、不明な部分が多く残されている。
 邦訳としては田島照久編訳『エックハルト説教集』(岩波文庫1990)が手近。
<思想>
 「名誉も利益も、内的敬虔も聖性も、報いも天国も、如何なるものをも求めず、それらすべてを放棄し、しかも自分自身に属するものを放棄する人、そのような人においてこそ神があがめられているのである。」(エックハルト異端審問第11条)
 「すべて人間のたましいの中には神性の火花」が生得的に存在する。それが人間の本質であるが、この火花あるいはほぐちは神とのふれあいにおいて呼び覚まされ、燃え盛り、神性との合一に入ることを可能とする。これこそ人間の魂の中に神が誕生することにほかならない。この合一において、人間の個々の自我は神性の深遠の中にまったく吸収され尽くす。ここで人間が果たしうることはただ一つ、すべての欲望から自由になり、他の何者によっても動かされないようになる「放棄」のみである。」(出村p276)
 「すべての人は自己放棄から始まるべきである。そうするならば、その他の全てを放棄したことになるだろう。仮に人が王国を、あるいは全世界をさえ放棄しても、なお自己中心的であるならば、何も放棄したことにはならない。しかし、もしも人が自分自身を放棄するならば、富にせよ、栄誉にせよ、その他の何にせよ、彼が所有するすべてから自由になる。・・・事物で充満していることは神を欠くことであり、事物を放棄し尽くすなら神が充満していることになる。・・・自己放棄した心の清い人は祈ることさえしない。祈るとは神から何かを祈願することにほかならぬからである。自己放棄した人は何物をも求めない。彼はただ神と合一することだけを祈願する。」(「教えの書」3節)
 このような究極の神との合一という境地を表現するのに、「神化vergottung」ということばさえ用いる。エックハルトに言わせれば「もしも神が人となられたのが事実だとすれば、人が神となったというのも事実である」(断片31)
 エックハルトの体験と表現は、汎神論として断罪され、異端とされたのはもっともなことであった。スコラ学的な神学・哲学体系の枠の中にエックハルトはもはや収まらなかった。彼は当時、トマス・アクィナスとも比肩される著名な神学者だったが、この教えのゆえに教会から異端宣告をされ、著書は禁書とされその名声は奪い去られる。汎神論という問題とともに、教会という制度的な仲保者を必要とせず信徒が神と直接交わり得るという神秘思想が、ローマ教会に危険と映ったのである。ローマ教会は、キリストになり代わるまでに神と人との仲保者と自任していたからなおのことである。

(2)「神の友」運動
*ヨハンネス・タウラーJohannes Tauler,1290or1300-1361
ヨハンネス・タウラーはドミニコ修道会士としてエックハルトに学び、その影響を受ける。その教説は基本的にエックハルトを継承するが、倫理・道徳面においての展開、実践に特徴を表す。エックハルトのような神化まではいわないが、徹底的な自己放棄を語る。ヨーロッパを恐怖のどん底に陥れた1348年の黒死病の大流行においては、いささかも身の危険を顧みず病人たちの介護と牧会に献身し尽くしたので、多くの人々の尊敬を勝ち得たといわれる。
 イザヤ9:5節の救い主降誕の預言からの説教。ここには三種類の御子の出生が語られているという。第一は聖三位一体の内側で御子のペルソナが区別されること、第二は処女マリヤのからだを介してこの世界に降誕されたこと、そして、第三は「神が信仰深い魂の中へ恵みと愛をもって日ごとに、絶えず霊的に生まれる」ことを意味するという。
 「外的なわざがすべて完全に消滅し、神の思いが内的に増加するとき、さらに恩寵に補佐された人間の勤勉が最高点に到達するときでも、人は徹底的に自己をむなしくすべきである。人は決して完全には到達しえず、常に謙虚な畏れの中にとどまるべきである。」
*ハインリヒ・ゾイゼHeinrich Seuse1295-1366)
ハインリヒ・ゾイゼもまたドミニコ会修道院にはいり、エックハルトのもとに学んだ。兄弟子タウラーととともに説教者。主著『永遠の知恵の書』はトマス・ア・ケンピスに深い影響を及ぼす。
 タウラー、ゾイゼらドミニコ会修道士、アウグスティヌス会、シトー会、ベネディクトゥス会の人々も含んで「神の友」運動が展開された。このグループが生み出した書物に『ドイツ神学』がある。これはおそらくはタウラーの著作である。ルターはこの『ドイツ神学』に深く感動し、序文をつけて公刊した。内容の中心は「キリストの生」であり、自己棄却、神への服従と従順、神との合一という三つの道が記されている。神化した人間とは、神の光に照らされ自己を放棄しきった人間の謙遜な姿にほかならないとされる。キリストこそは神との合一であり、私の生の模範である。初期のルターは明らかに本書の影響を受けている。

(3)「新しい敬虔devotio moderna(英modern devotion)」運動
14世紀終わりに近づくと、「神の友」運動は次第に力を失うが、これを継承し一般化したのがヤン・ヴァン・ロイスブルークJan van Ruysbroeck(一二九三−一三八一)である。彼はアウグスティヌス会の規則にのっとって瞑想修業をして、自ら修道参事会院長となり、多くの神秘主義的な著述をなす。ロイスブルークは人間の霊魂は本来、神の像に造られているから、瞑想によって人間の存在の根本的基盤である三位一体の神に帰るべきだと説いた。三位一体の神の瞑想をキリスト者の聖化の過程であるという主張には、アウグスティヌスの『三位一体論』の後半部が響いていると思われる 。
 ロイスブルークの影響を受けて「新しい敬虔」運動を始めたのは、『イミタチオ・クリスチ』の著者ヘールト・デ・フローテGeert de Groote(1340-84)である。フローテは15歳でパリに学び、ケルン、プラハにも遊学して神学・哲学・法学・医学・天文学などを修め、当時の碩学の一人とされた。また実際的な才能にも恵まれており、かつ、ケルン大学の哲学・神学教授も担当し、経済的にもユトレヒト、アーヘンの聖職禄を得た。しかし、三十歳ころにケルンのカルトジオ会修道院長ハインリヒとの出会いを通じて「回心」すなわち「内面性への帰還」を経験し、ホイゼン修道院で三年間修業し、当時のキリスト教に欠けているのはエックハルト、ロイスブルークの実践してきた内面的な敬虔、キリストに倣う純粋さだと確信する。その後、神秘家ロイスブルーク(レイズブルーク)の勧めがあって伝道説教者となった。彼は悔い改めを求め、聖書を読むことを勧め、聖書の筆写運動を始めた。これが「新しい敬虔devotio moderna」と呼ばれる運動の始まりとなる。聖書そのものに立ち返り、聖書に密着した敬虔という点が新しく、宗教改革の先駆的な意味がある。
 ルターが『イミタチオ・クリスチ』について「聖書とアウグスティヌスを除けば、神、人間、キリスト、万物について、この書以上に教訓を受けたものはほかにない。」と言ったことは、最初に述べたとおり。