苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

顔で決めるな

 ネットのニュースの中で、地方の一家そろって民主党サポーターという家族が、菅・小沢両氏の公開討論を見ている様子が映し出された。すると、おばあさんが、「小沢さんの顔は穏やかじゃないからだめ。菅さんの顔は穏やかでいい。」と言っていた。そりゃ男は四十歳になったら自分の顔に責任を持てというけれど、ちょっと・・・。
 顔のよしあしや、パフォーマンスの得手不得手で、国の行方を左右する選挙結果が出てしまうとしたら、なんという情けないことだろう。小泉劇場の9.11郵政選挙のとき以来特に感じているのだが、マスコミのくだらない偏向報道ばかりでは、日本はますます民主政治ではなくて、衆愚政治の泥沼に沈み行くばかりだ。

 話題をもう一つ。
 両氏の討論会を新聞がどんなふうに報道しているだろうかと、読売、毎日、朝日、産経をざっと読んでみた。どれもこれも、ネチネチと小沢氏を叩き、菅氏続投支持という意図がみえみえである。記者クラブ制を廃止して、オープンにするというのが、大新聞には気に入らないのだろうか。それとも、官房機密費が、各大新聞の看板記者や論説委員に配られていた事実が白日の下にさらされるのにおびえているのか。
 両者の公開討論全部は長いけれどネット上で見ることができる。筆者がざっと見たところでは、小沢さんはマニフェストに帰れといい、菅さんはマニフェストどおりやろうとしたけれど出来なかったから、ちょっと後退して現実に基づいて前を向いて行こうということだった。方向は同じ。昨年来の「政治とカネ」問題について小沢さんが説明していないというキャンペーンは検察と新聞とTVの捏造に近かろう。小沢さんをスーパーマンとして待望するのもまちがいだが、極悪人に仕立てるのもまちがい。筆者は、あの顔、きらいではない。菅さんの男前は年とともに衰えたが、小沢さんは年取ってそれなりにいい顔になった。女性にはもてないのかなあ。
 私としては、どっちになっても、健康が支えられて、職責を果たせるようにと祈るのみである。
「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。」(1テモテ2:1,2)