苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

選挙結果の感想と祈り

 今回の選挙にかんする感想を少しメモしておきたい。


1.マスメディアの選挙操作
 筆者は選挙前、財界官界と癒着したマスメディア(テレビ・新聞)のいう政党支持率と、Yahooみんなの政治の政党支持率があまりにもかけ離れているので、どちらが選挙結果として現れるのかに注目していた。テレビと大新聞の見出しは、「民主・自公そして第三極の維新」とさんざん言い立てて、選挙前61議席の第三党の脱原発を旨とする未来の党を無視し続けていた。ところが一方、ネット上では、民主は5%ほどだが、自民と未来が25%程度で拮抗していたのである。ただしネットの投票者層を見ると人口比の高いサラリーマン・主婦層が少なく、自営・自由業が多いので、これはどうかなと見ていた。
 選挙結果を見ると、マスメディアの操作どおりの結果である。ネット社会などというけれど、有権者のほとんどは、テレビと大新聞の見出ししか見られない多忙な生活をしているのだろう。せっかく一票を投じるなら無駄にしたくはないと、「民主・自公・維新」のどれかにしなくてはと誘導されたのではなかろうか。そう考えなければ、7割の国民が脱原発を希望しているというアンケートと選挙結果の乖離が理解しがたい。投票率の低さは、脱原発で選ぶべき有効な党は民主・自公・維新のうちには見当たらないという無力感あるいはプロテストの表れかもしれない。



 出典は不明だが、facebookで下の選挙結果が出ていた。なかなか興味深い。出典は分かり次第報告するつもり。

2.自民支持は伸びていない。維新・みんなに対する期待は何か? 
 自民は議席数を伸ばしているが、それは実は、民主の支持が落ちた結果にすぎず党としての支持率は伸びていない。自民党の支持率は比例で見ると、政権から転落した前回26.73から今回27.66とほとんど伸びていないからである。このことは安倍さんも自覚してコメントしていた。前回自民に失望し民主に流れた多くの人の支持は、今回自民に戻らず恐らく維新(とみんなの党)に流れたのである。維新は20.37。
 自民と維新とみんなはTPP・改憲など実質的に同じ立場である。増税原発については若干立場がちがう。維新とみんなの、自民に対するちがいはなにか?民主に期待したができなかった官僚政治打破である。民主から維新とみんなに流れた有権者の維新に対する期待は、これ官僚政治打破にある。


3.小選挙区制度の欠陥。
地方区における民主と自民の得票率が1:2なのに、獲得議席率が1:9である事実を見ると、小選挙区制というものの欠陥が如実である。これでは民意が反映される選挙制度とは思えない。比例をもって、この小選挙区制の欠陥を補おうということが意図されているのだが、数字を見ると、補えているとは到底思えない。まして貴重な少数意見は抹殺されてしまう。もっと国民の声を吸い上げる制度の工夫が必要。
 そもそも一選挙区から一人しか議員が選出されない小選挙区制が前提とするのは、保守二党論である。そもそも、この前提がまちがいである。
 別の言い方をすれば、比例でいえば国民の支持率27%にすぎない党が、議席を60%も占有できてしまうというこの制度は、異常な制度だということだ。


4.今後のこと・・・原発震災再来と改憲問題
 選挙制度にもマスメディアの操作にも問題はあるにせよ、選挙の結果は結果である。福島の原発はなお危機的な状況にあり、かつ活動期真っ最中の地震列島に住む国民は、原発存続を旨とする政権を選択してしまった。財界官界とマスメディアは世論を操作することはできるが、活動期の地震を操作することはできない。しばらく後、残念ながら、その結果を刈り取ることになるだろう。ただ、自公政権は公共事業にお金をばらまくだろうから、「列島強靭化」は進んで、地震対策は進むかもしれない。原発地震対策強化を含め、なるべく有効であってほしい。だが、再稼動はなんとしても食い止めたい。
 改憲問題については、このところ書いてきたとおり、自民党が今年4月27日すでに掲げているのは、<基本的人権尊重・国民主権戦争放棄>という日本国憲法の三大原理を軽視ないし否定する<基本的人権軽視・国権主義・戦争放棄の放棄>に立つものである。公明党は「防衛軍」改憲反対だが、維新の党は協力すると言っている。今後、来年参院選公明党が政権から追い出され、自民と維新がくっつくならば、国は急速に右傾することになる。そんなことにならぬように警戒して祈りたい。


祈り
 このような状況にあるが、なお私たちは神の哀れみがこの国の民の上に、神の支配が指導者たちの上にあるように祈ろう。

「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。」1テモテ2:1-3