苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ヤロブアムの不安・ウジヤの傲慢・・政教癒着と神のさばき(KGK夏季学校 その4)


    イネが穂をつけました。

(1)ヤロブアム王の不安と政教癒着
  神は、悪を抑制するために、俗権(国家)を摂理によって立てた。俗権の任務は、警察権による悪者の抑制と、徴税による富の分配という世俗的業務である。しかし、えてして俗権は手を出してはいけない「聖なる事柄」に手出しをしてきたこと、そして、その結果、神の裁きがその俗権にくだったことを聖書は教えている。
 ソロモン王の死後、イスラエル王国は南北に分裂した。北イスラエル王国の第一代の王はヤロブアム、南ユダ王国の王はレハブアムだった。ヤロブアムには不安があった。祭りの季節になると、北イスラエルの民たちは真の神を礼拝するために、神殿のある南ユダ王国エルサレムへと参拝に出かけてしまう。これでは、早晩、民は自分に背くことになるだろう、と。そこでヤロブアムは自らの権力の座を維持するために、モーセの時代以来の「金の子牛神話」に基づいて、「国家神道」を作り出してしまった。祭司たちを任命し、神社を作り、建国記念の日を8月15日と定めたのである。これは神の前に罪となった。
 この偶像崇拝は、北イスラエル王国にとって持病のようなものとなる。北イスラエルでは、王朝は次々に交代し、早々に北イスラエル王国はアッシリヤ帝国に滅ぼされてしまう。

 「ヤロブアムはエフライムの山地にシェケムを再建し、そこに住んだ。さらに、彼はそこから出て、ペヌエルを再建した。ヤロブアムは心に思った。『今のままなら、この王国はダビデの家に戻るだろう。この民が、エルサレムにある【主】の宮でいけにえをささげるために上って行くことになっていれば、この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、私を殺し、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。』
そこで、王は相談して、金の子牛を二つ造り、彼らに言った。『もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる。』
 それから、彼は一つをベテルに据え、一つをダンに安置した。このことは罪となった。民はこの一つを礼拝するためダンにまで行った。それから、彼は高き所の宮を建て、レビの子孫でない一般の民の中から祭司を任命した。そのうえ、ヤロブアムはユダでの祭りにならって、祭りの日を第八の月の十五日と定め、祭壇でいけにえをささげた。こうして彼は、ベテルで自分が造った子牛にいけにえをささげた。また、彼が任命した高き所の祭司たちをベテルに常住させた。彼は自分で勝手に考え出した月である第八の月の十五日に、ベテルに造った祭壇でいけにえをささげ、イスラエル人のために祭りの日を定め、祭壇でいけにえをささげ、香をたいた。」(1列王記12:25-33)


(2)ウジヤ王の傲慢と政教癒着
 南ユダ王国第十代の王ウジヤは神殿に列を成す民を眺めては不満だった。自分は軍事政策においても、農業政策においても、やることなすこと成功を収め、そのおかげで民の生活は目に見えて向上したのに、民たちは神殿の祭司たちのところに出かけていく。そうして祭司に、神に感謝をささげている。ウジヤはつぶやいた。「この王国に今日の繁栄をもたらしたのは、朕であるのに、なぜ民は朕をほめたたえず、祭司どものところに出かけては感謝しているのか。」・・・・こうして世俗的領域を治める務めを与えられたウジヤ王は手出しをしてはならない聖なる領域に手を出して、神から恐るべき裁きを受けることになる。 

「彼は神を認めることを教えたゼカリヤの存命中は、神を求めた。彼が【主】を求めていた間、神は彼を栄えさせた。
彼は出陣してペリシテ人と戦ったとき、ガテの城壁、ヤブネの城壁、アシュドデの城壁を打ちこわし、アシュドデの中の、ペリシテ人たちの間に、町々を築いた。神は彼を助けて、ペリシテ人、グル・バアルに住むアラビヤ人、メウニム人に立ち向かわせた。アモン人はウジヤのもとにみつぎものを納めた。こうして、彼の名はエジプトの入口にまで届いた。その勢力が並みはずれて強くなったからである。
ウジヤはエルサレムの隅の門、谷の門および曲がりかどの上にやぐらを建て、これを強固にし、荒野にやぐらを建て、多くの水ためを掘った。彼は低地にも平野にも多くの家畜を持っていたからである。山地や果樹園には農夫やぶどう作りがいた。彼が農業を好んだからである。さらに、ウジヤは戦闘部隊をかかえていたが、彼らは、書記エイエルとつかさマアセヤによって登録された人数にしたがって各隊に分かれ、王の隊長のひとり、ハナヌヤの指揮下にいくさに出る者たちであった。・・・(中略)・・・こうして、彼の名は遠くにまで鳴り響いた。彼がすばらしいしかたで、助けを得て強くなったからである。
  しかし、彼が強くなると、彼の心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた。彼は彼の神、【主】に対して不信の罪を犯した。彼は香の壇の上で香をたこうとして【主】の神殿に入った。すると彼のあとから、祭司アザルヤが、【主】に仕える八十人の有力な祭司たちとともに入って来た。彼らはウジヤ王の前に立ちふさがって、彼に言った。『ウジヤよ。【主】に香をたくのはあなたのすることではありません。香をたくのは、聖別された祭司たち、アロンの子らのすることです。聖所から出てください。あなたは不信の罪を犯したのです。あなたには神である【主】の誉れは与えられません。』
ウジヤは激しく怒って、手に香炉を取って香をたこうとした。彼が祭司たちに対して激しい怒りをいだいたとき、その祭司たちの前、【主】の神殿の中、香の壇のかたわらで、突然、彼の額にツァラアトが現れた。祭司のかしらアザルヤと祭司たち全員が彼のほうを見ると、なんと、彼の額はツァラアトに冒されていた。そこで彼らは急いで彼をそこから連れ出した。彼も自分から急いで出て行った。【主】が彼を打たれたからである。ウジヤ王は死ぬ日までツァラアトに冒され、ツァラアトに冒された者として隔ての家に住んだ。彼は【主】の宮から絶たれたからである。その子ヨタムが王宮を管理し、この国の人々をさばいていた。」(2歴代26:5-21)

 俗権が真の神礼拝に容喙するとき、自らに滅びを招く。国家を守るためにも、私たちは国家が分を越えることがないように、警告をしなければならない。