苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

古代教会史ノート5 帝国による組織的迫害ーーー2世紀から3世紀前半

1. 五賢帝の時代・・・組織的迫害

 2世紀は「五賢帝時代(96-180 ネルヴァ、トラヤヌスハドリアヌスアントニヌス・ピウスマルクス・アウレリウス)」と呼ばれ、「人類が経験したもっとも幸せな統治」(E.ギボン)とも言われる。帝国の国力は充実し、政治的安定・経済的安定を経験する。しかし、五賢帝の時代は教会にとっては迫害の時代であり、丸山忠孝はこの世紀を「十字架を忍ぶ教会」と呼んでいる。なぜならば、1世紀の迫害はひどいものであったといっても、単発的であり思い付き的なものであったが、2世紀の迫害は明確に帝国の政策としての組織的迫害となったからである。

(1)トラヤヌス帝(在位98−117年)による迫害
  資料「プリニウストラヤヌス帝書簡」ベッテンソン『キリスト教文書資料集』pp23-24を参照せよ。これがトラヤヌス以後の帝国の、キリスト教会に対する基本方針となる。この書簡(112AD)から読み取れること。
a.キリスト教徒の増加のありさま(p25−(9))
ビテニヤ地方では都市・農村を問わずあらゆる年齢・階級を問わず、男女キリスト教徒が増加して、伝統的な神々の宮は閑古鳥が鳴くありさまだった。
b.キリスト教徒の生活(p24−(7))
定められた日に夜明け前に集まってキリストを讃美し、罪を犯さない誓いをする。そして、普通の食事会をしていた。
c.帝国が求めた偶像礼拝の内容(5)
 神々の彫像と、皇帝の彫像に香を焚き、ぶどう酒をもって礼拝をささげ、キリストをのろわせる。
d.尋問と処刑(3)
 死刑にするぞと脅しながらキリスト教徒であるかを尋ね、あくまで頑なであれば、その強情と頑固さゆえに死刑にする。キリスト教徒であることを否定したものは釈放する。積極的にわざわざ手間をかけてキリスト教徒を捜し出すことはしないが、もし訴えられて神々と皇帝への礼拝を拒み棄教を拒むならば処刑する。
 
(2)マルクス・アウレリウス帝(161年-180年)による迫害
 哲人皇マルクス・アウレリウスもまたキリスト教徒を迫害している。この時代の殉教者の中には有名なユスティノスも含まれている。彼はローマに教理学校を開設し、真の哲学と呼んだキリスト教を教えていた。彼は有名な異教徒の哲学者を公開討論会で論破したので、この哲学者に告発されたようである。
 2世紀全体をとおして、キリスト教徒は間歇的に各地で起こる迫害に苦しんだ。帝国の教会に対する一般的政策はトラヤヌス帝が指示した通りである。すなわち、キリスト教徒は積極的に捜し出して迫害する必要はないが、告発されたならば棄教させるか、さもなくば処刑した。告発するしないは周囲の人々の噂・評判によるところであった。そこで異教徒たちにキリスト教について弁明する必要が生じた。

2.3世紀の迫害
(1)セプティミウス・セウェルス帝(在位193−211年)による迫害
 3世紀初めセプティミウス・セウェルス帝は、帝国領内に宗教的混交主義でもって、宗教的一致を推進する。帝国領民すべてを「不敗の太陽神」礼拝で一致させ、あらゆる宗教と哲学をこの礼拝の中に包含させようと計画した 。戦前の日本で、超宗教(国民儀礼)である国家神道の下に、諸宗教を統合しようとしたのと同じ構造である。
 ユダヤ教キリスト教がこれに反対したので、これらの宗教に改宗することを禁止し、違反者は死刑に定められた。エイレナイオスはこの迫害で殉教した。

(2)デキウス帝(249年−251年)による迫害

 デキウス帝は伝統的ローマ人であった。帝国衰退の原因は、人々が古代の神々への信仰を捨ててしまったことによると考えた。そこで古代ローマの神々にローマを立ち返らせようとした。古代の神々に礼拝しないことは反逆罪に等しいとした。デキウスの教会迫害には「殉教者ではなく、棄教者を作る」という目的がはっきりとあった。迫害されて堂々と殉教するキリスト教徒を目撃した人々はかえって深い感銘を受けて、かえってキリスト教徒が増えてしまったからである。キリスト教徒を殺すのでなく、転ばせることをねらったわけである。
 デキウス帝の勅令は、キリスト教徒だからという理由で処刑を命じない。神々への礼拝を、帝国全域にわたって義務付けた。神々の前で香を焚き、神々に犠牲をささげることが要求され、これに参加したものにはその証明書が発行され、証明書を持たない者は、帝国への反逆者とみなされた(あたかも黙示録13章に出てくる「666」の刻印のようだ)。たいへん組織的な全帝国的なものだった。迫害はキリスト教徒殺害に主眼を置かなかったので、拷問を受けた後になお信仰を守って生き残った「聖証者」が出た。
 ウァレリアヌス帝(253−269AD)は、治世初期はキリスト教に好意的だったが、途中から迫害に転じた。(ベッテンソンpp37,38)

3.迫害と殉教・棄教・回復の問題と教会観

(1)棄教者の回復と教会観・・・キプリアヌス(3世紀初頭−258年)
 従来の迫害のように死刑にされてしまえば、起こらなかった問題である。棄教させるために拷問が激しくなる中で、一旦は棄教し、迫害が去ると再び教会に復帰することを望む人々が現れるようになった。また、逆にいかなる激しい拷問にも屈せずに生き残った聖証者が出てきた。
 棄教した人々を動扱うかについての議論がなされた。カルタゴ司教キプリアヌスは地域の司教たちの教会会議を招集し、次の決定がなされた。
a.犠牲をささげることをしないで証明書を買ったり、べつの方法で入手したりしたものは、ただちに教会の交わりへの復帰を認める。
b.犠牲をささげた者については、臨終の時か次の迫害の時に彼らの悔い改めが本物であったことを証明した場合に限って教会への復帰を認める。
c.犠牲をささげ、そのことを悔い改めない者は決して復帰を許されない。
d.これらの行為は、聖証者ではなく司教が行なうべきである。
 キプリアヌスが教会の交わりに復帰するための条件を規則化したことには、彼の堅固な教会観が背景にある。「教会の外に救いはない」「教会を母として持つのでなければ、だれも神を父として持つことはできない」

(2)「殉教伝」
 殉教が重んじられ、劇的な「殉教伝」が書かれた。著名な殉教者としては、アンティオキアの司教イグナテイオスの殉教107年と、スミルナの司教ポリュカルポスの殉教155年である。ベッテンソンが資料としているpp32-35を参照。
 ポリュカルポスの殉教に関しては、彼の苦しみはキリストの苦しみにあずかることとされていることが大切である。すなわち、彼を逮捕して競技場に連れ出したのが、神の定めによってヘロデという名であったこととか、彼の召使が裏切ったことを主がユダに裏切られたことと重ねあわせ、逮捕しに来た人々は「強盗に向かうように」ポリュカルポスに向かったとか、ポリュカルポスが逮捕されるときには「神の御旨がなるように」と言ったなどと記されている。
  殉教者が出るのは、殉教を重んじる信仰と神学があるところにおいてなのである。殉教を軽んじるところに殉教者はでない。ポリュカルポスの殉教伝では、殉教とは主イエスの苦しみに与ることとされている。わが国でもキリシタン時代には多くの殉教者が出た。長崎の十六聖人の殉教は有名である。しかし、先の戦前戦中には殉教者は出ていない。この違いは殉教を尊ぶ信仰と神学があるかどうかのちがいであろう。殉教者を「お上にたてついてひどい目にあった要領の悪い愚か者」と見るか、「主のためにいのちをささげた尊い信仰の先輩」と見るかの違いである。戦中に転んだ日本の教会は、あきらかに前者の見方をしていた。これを変革しないかぎり同じ罪を犯すであろう。

4.国家と殉教についての新約聖書の教え
 新約聖書の二つの13章は俗権(国家権力)には、神の僕と悪魔の手下という二つの側面があることを啓示している。
(1) 神のしもべとしての国家権力(ローマ13章)
 「上に立つ権威」は神のしもべである。上に立つ権威には基本的に二つの職務がある。一つは警察権(剣の権能)である。堕落後の世界の不正を抑制し、社会秩序を維持すること。 もう一つは、徴税をして富の再分配・不平等の抑制をはかることである。国家権力に与えられた職務は、このように世俗的な範囲内である。しかし、国家権力はえてして、民の心までも支配することを目論む傾向があることが問題である。

(2) 悪魔の手下としての国家権力(黙示録13章)
 黙示録解釈については、歴史主義的立場では当時の歴史のなかの出来事にすべてを当てはめてみようとするものと、未来主義として主イエスの再臨直前の時代に起こることとして解釈する立場と、その両極端の間というか両者をかねてみる立場がある。歴史主義だけでは黙示録は読み誤るであろう。黙示録自体が、「これはすぐにおこるはずの事をそのしもべたちに示す」(1:1)と言っているから。

a.「海からの獣」は悪魔的国家権力
 この強大な権力者を歴史主義的解釈者は、ネロとかその再来と言われるドミティアヌスと解釈する。未来主義は、主の再臨前に出現する「不法の人」「滅びの人」であるとする。国家が獣化したら、類似の現象はどの時代にもどの地域にも起こる。
b.ダニエル書7章と照合すれば、獅子とはバビロン帝国、熊とはペルシャ帝国、ヒョウとはアレクサンドロスの帝国。「海からの獣」はこの三大帝国のすべてを兼ねたような強大な軍事帝国である。
c.帝国主義者は、他国民・多民族を支配し、気に入らない政権は倒して傀儡を建てる。常套手段。
d.また、獣化した国家は自国の文化をグローバルスタンダードとして押し付け、富を収奪する。傲慢と独善がその特質。
e.悪魔がその権力者に力と位を与えている。
f.第二の獣は、小羊のような姿をしている。第一の獣に仕える偽預言者。海からの獣は、宗教性を帯びている。第二の獣は「海からの獣を拝め」というサタンの教えをする。

(3)聖書における迫害・殉教と宣教の原則 
a.たとえ国法で命じられても偶像崇拝はしてはいけないし、たとえ国法で禁じられても伝道をやめてはいけない。
b.迫害があったら逃げて(地下に潜って)伝道せよ。
 迫害されたら次の町へ行き、福音をあかしせよ。「彼らがこの町であなたがたを迫害するなら、次の町にのがれなさい。というわけは、確かなことをあなたがたに告げるのですが、人の子が来るときまでに、あなたがたは決してイスラエルの町々を巡り尽くせないからです。」(マタイ10:23)実際、使徒の働きを見るとエルサレム教会に弾圧が起こったとき、「使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。」「他方散らされた人たちは、みことばを宣べ伝えながら、巡り歩いた。」(使徒8:1,4)
c.殉教すべく召されたならば、殉教をもって神の栄光をあらわせ。
 使徒たちがエルサレムにとどまったのは殉教するためであろう。すべての信徒が殉教に召されているわけではなく、殉教はある人々に与えられた賜物である。「また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。」(1コリント13:3)
d.キリスト者にとって迫害を受け殉教することは恥ではない。むしろ大いに喜ぶべき名誉なことである。
 「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。」(マタイ 5:10-12)
 「使徒たちを呼んで、彼らをむちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと言い渡したうえで釈放した。そこで、使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。そして、毎日、宮や家々で教え、イエスがキリストであることを宣べ伝え続けた。」(使徒 5:40-42)