苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

主の宣教の協力者

                 使徒9:18-32
                 2010年4月14日 小海主日礼拝説教

 「こうして教会は、ユダヤガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行った。」(使徒9:31)
 使徒の働きには何度か類似の表現が出てきます。これまで読んだ一例を挙げると聖霊に励まされて教会と福音が前進し、信者の数がふえていったという喜ばしい区切りの言葉です。執事が選出されて、使徒たちが祈りとみことばに専念した結果、 6:7 「こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰に入った。」という表現がありました。
 本日の「こうして」とは何を意味するのでしょうか?どのようにしたから、教会は地域をこえて築き上げあられ、平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊にはげまされて前進し、信者の数がふえていったのでしょうか。

1. 主イエスの主権によって―――迫害者サウロの回心と伝道

 それは第一に、キリスト教会迫害の急先鋒サウロが回心し、かつ、強力な伝道者となったことでした。サウロは復活のイエスの光に打たれて、目が見えなくなり、回心をしてアナニヤによって洗礼を受けました。そして、主ご自身が彼を異邦人への使徒としてお召しになったのでした。これはまったく人間のわざによることではありません。9:18-20「するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった。彼は立ち上がって、バプテスマを受け、食事をして元気づいた。サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちとともにいた。そしてただちに、諸会堂で、イエスは神の子であると宣べ伝え始めた。」
 これにはユダヤ人たちがたまげました。9:21-22「これを聞いた人々はみな、驚いてこう言った。『この人はエルサレムで、この御名を呼ぶ者たちを滅ぼした者ではありませんか。ここへやって来たのも、彼らを縛って、祭司長たちのところへ引いて行くためではないのですか。』しかしサウロはますます力を増し、イエスがキリストであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人たちをうろたえさせた。」このように言われているとおりです。
ユダヤ当局にとっては今までは最も頼りになる律法学者サウロでした。ガマリエル門下に学んで律法に精通していたサウロの前に立ちはだかろうとする者たちは、みな論破されてしまいました。しかもサウロは口だけの学者ではなく、行動の人でした。エルサレムの教会をたたくだけでは手ぬるいと言って、自ら志願してはるか北東部のダマスコにまでキリスト教徒迫害のために出かけていったのです。
 ところが、その学識と行動力を兼ね備えたサウロが、あろうことか「イエスはメシヤである、イエスはその死によって罪をあがないかつ復活された。悔い改めてイエスを信ぜよ」と宣伝しはじめたのです。ユダヤ人たちがうろたえたのは当たり前です。
 「このようにして・・・信者の数がふえていった」という「このようにして」の第一番目は、主イエスご自身が迫害者サウロを回心させて、ご自分の伝道者にしてしまわれたということです。宣教は復活された主イエス・キリストのイニシアチブによるのです。

 30年程前からアメリカで教会成長論という学問がはじまりました。ドナルド・マッギャブランという人がその提唱者です。この成長論は、いかにもアメリカらしいのですが、会社経営におけるさまざまな手法を教会運営と伝道に適用したのです。一例をあげれば、マーケットリサーチをして、その地域が必要としているものを見つけ出して、それに答えるようなプログラムを教会が提供するといったようなことです。キリストの十字架と復活の福音をないがしろにしないかぎりは、そうした手法を否定する必要はありませんが、しかし、教会成長の根本的な原動力は、復活した主イエス・キリストご自身であり、主イエスが教会に注がれた聖霊でいらっしゃることを見失ってはいけません。さまざまな手法は、副次的なものにすぎません。主ご自身の宣教に私たちは協力する立場にあるということを、私たちは忘れないでいたいものです。
 ですから、私たちの伝道はまず祈りをもってみことばに主の御心を求め、祈りをもって主の御霊の注ぎを願うということから始まらねばなりません。先に春の修養会で伝道の方法を学びましたから、うんと活用して欲しいものですが、まず神様の前に心静めてどの人に福音をあかししましょうかと祈りましょう。その方のために祈って、聖霊が働いてくださることを祈りつつ福音を証することです。

2.慰めの子バルナバ

 さて、「多くの日数がたって」と23節にあります。ガラテヤ書1章15節から18節を見ると、ここでサウロはいったんアラビヤに3年間ほど滞在して、それから再びダマスコに戻ってきたことがわかります 。何をしにアラビヤに滞在したのか?おそらくサウロは、その地で、主の前に祈りつつ、今までの自分のパリサイ派としての律法理解、メシヤ観の誤解を徹底的に洗い直して、みことばを学びなおしたのであろうと思われます。この沈黙の三年間はサウロにとって、いわばアラビヤの神学校でした。モーセに40歳から80歳の荒野の訓練が必要であったように、サウロにとって3年間のアラビヤ滞在が必要でした。
 サウロは3年間の祈りと学びを経てダマスコに戻りますと、一層確信をもって福音伝道をしました。サウロが誰よりも強力な福音の宣教者になってしまったので、ユダヤ教当局は怒り心頭に発しました。イエスの弟子だった十二人使徒たちを憎む以上にサウロのことを憎みました。当然でしょう。ユダヤ教の側から言えば、サウロは裏切り者ですから。すでにエルサレムではサドカイ派の祭司たちも次々に回心しており、さらに、ここにきてパリサイ派の律法学者サウロまで回心してしまったので、そのことによるユダヤ教当局は大騒ぎになりました。
 そこでユダヤ当局はサウロを暗殺しようと計画を立てます。神を愛することと隣人愛を民に教える立場の祭司や律法学者たちが、自分たちの意に沿わないからといって暗殺計画を立てるというのですから、なんとも矛盾した恐ろしいことです。ダマスコの町は城壁に囲まれていましたから、これを封鎖してしまえばサウロが逃げることはできないと考えた彼らは、すべての門という門に見張りを立ててサウロを摘発・逮捕してしまおうとします。
 他方、教会の兄弟姉妹たちは、主がお召しになった兄弟であり伝道者であるサウロをなんとしてもユダヤ人の手から守るために、サウロをかごに載せて夜中に城壁をつりおろして逃がしたのです。
  「多くの日数がたって後、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をしたが、 その陰謀はサウロに知られてしまった。彼らはサウロを殺してしまおうと、昼も夜も町の門を全部見張っていた。そこで、彼の弟子たちは、夜中に彼をかごに乗せ、町の城壁伝いにつり降ろした。」(9:23-25)
 こうしたところを見ると、ダマスコのキリスト教徒たちはすっかりサウロを信頼するようになり、協力関係が結ばれるようになっていたことがうかがえますね。「こうして教会が・・・平安を保ち、前進し、信者の数がふえていった」ということの、第二の意味は、「協力」ということです。いかにサウロが学識と行動力にすぐれた伝道者であったといっても、彼ひとりで何ができるわけでもありませんでした。これまで迫害の急先鋒であったサウロですから、なおさらのことです。そういう悪名高きサウロを理解し、受け入れ、いのちを助けようとした主にある兄弟姉妹がいたからこそ、サウロはこの後、福音宣教者として活躍することになります。

このようにダマスコの弟子たちの信頼と協力を得たサウロですが、3年後エルサレムに行きますと、まだそう簡単にことは運びません。ダマスコの人々は、サウロがエルサレムでひどいことをしているという話は聞いていましたし、少し遠くのことであり噂でした。けれどもエルサレムの兄弟姉妹にとって、サウロは恐怖の的でした。彼らはその目でサウロがこれまでエルサレム教会の兄弟姉妹にどれほどひどい仕打ちをしてきたかということを見てきました。見ただけでなく、実際に、自分自身がサウロによって逮捕され牢屋にぶちこまれたという人々も少なくなかったのです。あの愛に満ちた執事ステパノが殉教するとき、サウロが冷ややかなまなざしで見ていた姿をだれが忘れられるでしょう。 「サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間に入ろうと試みたが、みなは彼を弟子だとは信じないで、恐れていた。」(9:26)
 ダマスコの教会からの紹介状もおそらく携えていたと思われますが、こういうことは頭では受け入れられても感情がついていかないということが当然あるものです。ステパノの遺族だってエルサレム教会にはいたでしょうし。サウロがどんなに雄弁に自分が復活のイエスに出会ったこと、主イエスによって伝道者として召されたことを話しても、受け入れてくれる兄弟姉妹はいませんでした。もっともなことだろうと思います。サウロは自分の力ではもうこの先一歩もキリストの福音の伝道者として進むことができない状況にありました。
 このとき、主がお用いになったのがバルナバ慰めの子でした。バルナバの名はすでに出てきていますね。彼はその名のように寛容で度量の大きな人物でした。このバルナバがいなかったなら、今日まで知られる初代教会時代の宣教師パウロはいなかったといっても決して過言ではありません。バルナバパウロのようにのちに聖書に収められる手紙を残したりはしませんでしたし、パウロのような学問的な背景があった人でもなかったのですが、その人物の大きさ、寛容さのゆえに、たいへん重要な働きをしたのです。つぎのように書かれています。
「ところが、バルナバは彼を引き受けて、使徒たちのところへ連れて行き、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に向かって語られたこと、また彼がダマスコでイエスの御名を大胆に宣べた様子などを彼らに説明した。」(9:27)
 誰もがサウロの顔を見ただけで憎しみと恐怖の色を浮かべて逃げていくなかで、バルナバだけはサウロの話にしっかりと耳を傾けて、サウロの言っている証言がけっしてうそ偽りではないことを見極めました。そうして、主がサウロを伝道者としてお召しになっているのであれば、サウロを使徒たちに紹介して、彼が使徒たちの認めた伝道者として立たせてやることが、主が自分にお与えになった務めであると彼は確信して、行動したのでした。
 なかなかできることではありません。バルナバは自分の感情に振り回されず、また周囲の人々の思惑を恐れるのではなく、ただ主イエスのみこころを求める人であったからこその勇気ある行動でした。
 バルナバのとりなしのおかげで、サウロはエルサレム教会に自由に出入りできるようになりました。そうして、エルサレムでも大胆に「イエスはこそ待望されたメシヤである。イエスは、あなたがたの罪のために、十字架であがないの業を成し遂げられた。悔い改めて、イエスを信じなさい。」とのべつたえられるようになったのです。
「それからサウロは、エルサレムで弟子たちとともにいて自由に出はいりし、主の御名によって大胆に語った。 そして、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちと語ったり、論じたりしていた。」(9:28,29)
もしバルナバがいなかったならば、キリスト教会の歴史は変わっていたでしょう。サウロは一匹狼として伝道し、初代教会は不幸にもエルサレム系とサウロ系に分裂してしまったであろうと思われます。新約聖書もどんなものになっていたことか。そう思うとバルナバが果たした役割というのは、非常に大きなものだったのです。
 しかし、多くのユダヤ人たちはサウロの宣教を受け入れませんでした。そしてダマスコにおけると同じように裏切り者サウロを殺す計画を立てていたのです。やはりあのサウロが回心してしまったという出来事はユダヤ教当局にとってはあまりにも大きな衝撃であり、ダメージだったのですね。
 サウロ暗殺計画があるということを察知したエルサレム教会の兄弟たちは、サウロを逃がすことにしました。主イエスが選び、伝道者として立てたサウロをむざむざ敵の手に渡して殺させるわけには行かないからです。こうしてサウロはカイザリヤを経て、タルソへと向かったのです。「 兄弟たちはそれと知って、彼をカイザリヤに連れて下り、タルソへ送り出した。」(9:30)
 ダマスコではアナニヤ、エルサレムではバルナバと、サウロは自分を受けいれてくれる主にある兄弟を得ることができました。アナニヤもバルナバも、主のみこころを第一として感情的には受け入れがたかっただろうサウロを兄弟として受け入れたのでした。その結果、サウロは初代教会で一匹狼、あるいは異端者とはされず、エルサレム使徒たちに認められた伝道者として、このあと主イエスのために大きな働きをすることができるようになるのです。
 その結果、9:31 「こうして教会は、ユダヤガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行った。」というわけです。

適用
 18世紀ドイツにフィリップ・シュペーナーという人物が現れました。シュペーナーは近代敬虔主義運動の祖と目される人物で、この敬虔主義運動によって、当時停滞していたドイツのプロテスタント教会は、聖霊の息吹を吹き込まれ、世界に宣教師を送り出すようにもなりました。18世紀に始まった敬虔主義は19世紀にも発展し、19世紀は教会の歴史上「世界宣教の世紀」と呼ばれることになります。
 ドイツでは、16世紀ルターによる宗教改革が行われました。17世紀になると正統主義時代と呼ばれる、教理の厳密さを求める時代がやってきました。同じルター派のなかでも自分たちこそフィリップ派と真正ルター派の神学論争が行われました。こうした論争は真理を求めるのは大切なことですから一概に否定すべきことではないのですが、あまりにも互いの共通する点よりも互いの異なるところを強調し、自派の優位性を誇るようになったことは残念なことです。当時、教会における説教卓は聖書の解き明かしでなく、神学的教説の開陳の場になったといわれます。こうして教会は霊的な生命を失ってしまいました。
 こうした状況を憂えて、フィリップ・シュペーナーは登場したのです。彼は「根本的必然的なことがらにおいては真理と一致を、根本的必然的でないことがらにおいては自由を、そしてすべてのことにおいて愛をもって当らなければならない」ということばを遺しました。これは根本的必然的でもないことがら、つまり聖書が明瞭に語っているのでもないことで論争をして分裂をすることを止めて、聖書が明瞭に語っているところで一致してともに祈り、ともに宣教協力をしようではないかという呼びかけです。
 宣教のみわざを推し進めるのは、復活の主イエス・キリストご自身です。主は私たちを用いてくださいます。私たちは、主の宣教の協力者です。主の福音宣教の協力者にとってたいせつな態度は、主のみこころを求める忠実さと、兄弟姉妹を受け入れる謙遜で寛容な心です。