苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

素晴らしいイエスの御名

            使徒3章1-10節
          2009年11月22日 小海主日礼拝


 「ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。」(3:1)初代エルサレム教会の兄弟姉妹たちは、毎日神殿にあつまって神様を賛美していました。ペテロとヨハネもまた初代教会の指導者としてその群れのうちにありました。彼らが午後三時にやってきたのは、エルサレム神殿ではこの時刻、夕べの祈りがささげられていたからです。敬虔なエルサレムの住民たちは、この時刻になるとぞくぞくと神殿に集ってきたのです。そこに生まれつき足のなえた男が運ばれてきました。「すると、生まれつき足のなえた人が運ばれて来た。この男は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日『美しの門』という名の宮の門に置いてもらっていた。」
 彼は神殿に祈りに集う人々にとっては顔なじみの乞食でした。毎日ここに運ばれ、置いてもらっていたからです。ここ美しの門はもっとも人通りが多いので、物乞いをするには一番有利な場所だったのです。よるべのない人たちに施しをすることは、敬虔なユダヤ人たちにとっては神の前に果たすべき義務でしたから、足なえの彼にとっても、これから神の前に出て礼拝しようとしている人たちにとっても、いわば需要と供給が合致した最適のスポットでした。
 この「美しの門」と呼ばれる門は、その名の通り、華麗な意匠が施されたこがねいろに輝くコリント風の門であったそうです。神殿の聖所の壁には北と南にそれぞれ四つずつ門があり、正面である東側には二つあって、そのひとつは特に大きくて立派なものでした。これが美しの門と呼ばれるものであったそうです。歴史家ヨセフスによるとこの門は主要部が分厚い金銀で覆われているだけでなく、全体がコリント様式の真鍮製のもので、特別立派なものだったそうです。驚くなかれ、高さ50キュビトつまり22.5メートルもあったといいます 。六階建のビルの高さです。
 さて、ペテロとヨハネがこの門に入ろうとするのを彼はめざとく見つけ、「そこの慈悲深い旦那様二人、どうぞあわれな乞食に施しをください。」といいました。すると「 ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、『私たちを見なさい』と言った。」(4節)とあります。もともとの本文では、「その男を見つめて」ということばに強調点がある表現です 。それはからだの不自由な物乞いの境遇を思いやる気持ちを含んだでしょう。ですがそれ以上に、彼らはこの男が単なる物乞いであるのか、イエスをすなおに信じて恵みを受けることができる人物なのかを見極めようとしたのであると思います。というのは、すぐ後に「イエスの名を信じるその信仰が彼をいやした」とペテロが証言しているからです。癒しを与えるのは、キリスト御自身の御霊の働きですが、その御霊の力を受け取る信仰が彼にあるかを見極めようとしたのです。男は何かもらえると思って、ふたりに目を注ぎした。彼には恵みを受け取る信仰があったのです。イエス・キリストの恵みを受け取る信仰です。疑わず、信頼してじっと彼は待っています。
 するとペテロは言いました。6節「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」。そして、「さあ」という具合に「 彼の右手を取って立たせた」のです。彼は「そんなこと言われたって、俺は生まれながらの脚なえだよ。立てるわけも歩けるわけもないだろう」などとぶつぶつ不信めいたことをつぶやきませんでした。「ナザレのイエス・キリストの名によって」という言葉を聞くと、男は、「はい!」という具合に実際に立ち上がったのです。男は、その癒しの恵みを受け取りました。
 次の7節、8節の表現がいかにも医者のルカらしく、「足とくるぶしが強くなり」と克明に記してあって、興味深いのですが、それはともかく「するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮に入って行った。」とあります。 恐る恐るゆっくりと立ったのではありません。車椅子の少女が、両手を前に差し出してふらつきながら立って、「パパー、ねえ私立つことができたわよ。」と涙声で叫んで、一歩二歩踏み出したら、パパがかけよって「おお、クララ!」とかいう涙の感動の場面とはいささかちがいます。「おどりあがって(エクサロマイ)」と訳されているのは、かがんでいた人が、ビヨヨーン!とカエルみたいに飛び上がることです。感動で涙が出るというより、周りの人はたまげてあごが外れるか、げらげら笑い出すような、そんな場面です。なにしろ周囲にいる参拝者たちにとって、この男は数十年「毎日」この美しの門に座っている顔なじみの乞食なのです。生まれつきの足なえであることは、エルサレム中の住民が知っているほどです。その彼が、「ナザレのイエスの御名によって立て」と言われたら、まるでピョーンと躍り上がって、まっすぐに立ち、歩き出し、それどころかはねたりして神を賛美しているのです。びっくり仰天とはこのことです。奇跡です。奇跡以外のなにものでもありません。神は生きておられる。ハレルヤ!と叫ばないではいられない出来事です。
9-10節をごらんください。
「人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。そして、これが、施しを求めるために宮の「美しの門」にすわっていた男だとわかると、この人の身に起こったことに驚き、あきれた。」
 まさに「驚き呆れた 」のです。感動してジーンときたというよりも、茫然自失したのです。

 実にすばらしい癒しの奇跡でした。すばらしい点は2つです。第一点は、この奇跡はナザレの「イエス・キリストの御名」の権威がいかに偉大なものであるかを示していることです。イエス・キリストは現に、ここで生きて働かれる創造主なる神であることをあきらかにされたのです。彼は人生途上でけがをした、病気になったのではなく、生まれつきの足萎えでした。ということは、かれは生まれつき骨も筋も肉も神経組織も欠陥に欠けたり、未発達のまま固まっていたりしていたというのです。彼の年齢は40歳あまりだったともあります。もう完全に固まってしまっています。それが、「ナザレのイエス・キリストの名によって歩け」と言われたとたんに、たちどころに治りました。これは到底、医学的・科学的に説明できることではありません。この出来事は、無から万物を生み出した創造主である神にのみ行うことができたことです。神が「光よ、あれ」というと光があったように、生まれながら骨が足りないところに骨を作り、筋の欠けているところに筋をつくり、筋肉の足りないところに筋肉を作ったり、血管の届いていないところに欠陥を造り、神経組織が切れているところに神経組織をあらしめたのですから。イエス・キリストの御名は、無から万物を造られた創造主としての権威を持つのです。主イエスの御名というものが、それほどの権威をもっているということをこの奇跡はあきらかにしました。

 この癒しの奇跡がすばらしいもう一点は、この癒された男が、「ああ治った治った」と言ってさっさと家に帰ってしまったり、野球を見に行くのではなく、「おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮に入って行った。」ことです。彼の癒しは、単に肉体の癒しでなくて、霊の癒しでもあったのです。彼は癒しをいただいたとたん、神様をほめたたえ、神様に感謝をささげたいという思いがわきあがったのです。
 実際、彼はこのあとずっとペテロとヨハネといっしょにいるのです。この出来事を発端に、ペテロが伝道説教をしたところ、祭司たちはペテロとヨハネを逮捕し一晩拘置してしまいます。翌日、議会は彼らを問い詰めたのですが、そのときあの足を癒された男は、逃げ出しもせずに、証人として立ったのです。4章14節をごらんください。「 そればかりでなく、いやされた人がふたりといっしょに立っているのを見ては、返すことばもなかった。」彼はたぶんペテロとヨハネといっしょにいたので、いっしょに拘置されたのでしょう。拘置されなかったとしたら、翌日、議会で証言するためにわざわざここに出頭してきたのです。この男はすっかりキリストの弟子となって、イエス・キリストの御名のためならば危険な目にあうことも、投獄されることさえもいとわない人となりました。そして、議会においてすくっと立って証言をすることができる勇気ある自立した人となったのです。彼のうちにこれほどのことをなさったイエス・キリストの御名はなんとすばらしいことでしょう。
 福音書を見ると、イエス様は実に多くの人々に癒しを行なわれましたが、多くの人々は病気が治ったらさっさといなくなってしまい、感謝するために帰ってきた人も少なかったようです。まして、癒しの出来事の故にイエス様を信じて、イエス様と苦難をともにしようとする人はまれでした。けれども、この美しの門の足の萎えていた人は、鮮やかな回心・新生を遂げて、主の弟子となったのです。

 生まれながらの足なえの男は、物心ついて自分で食べていかねばならなくなってから、毎日毎日この場所に運ばれて物乞いをして生きてきました。辛い悲しい人生でした。場所はコリント風の装飾がなされた美しの門。なんというか対照的な場所でした。生まれてこの方三十数年間、何千人、何万人という人々から彼は施しを受けて生活を成り立たせてきたのです。ある人々は銅貨をやったでしょう。ときには奇特な金持ちがいて、銀を奮発したかもしれません。けれども、どんなにお金をもらっても彼は決して自分の足で立つことはできず、いつも人に依存した生活をしていました。
 しかし、このとき、ペテロは言いました。「金銀は私にはない。ナザレのイエス・キリストの御名によって歩きなさい。」この男がほんとうに必要としていたのは、金銀ではなかったのです。彼を立たせたのは、イエス・キリストの御名だったのです。
 彼は、単に肉体がいやされただけではありませんでした。彼は神様に向き直って、躍り上がると神様を心から賛美する人となり、礼拝する人となりました。これまで数十年毎日神殿の玄関にはすわっているけれど、彼は神様の方を向いているのではなく参詣客たち顔を見たり身なりをみたりしてて生きてきたのですが、今、神様のほうに向きなおってひとりの礼拝者として新しく生まれたのです。今まで、神殿の前で、表現はきついですが、神様を利用して日銭を稼いで生きてきたのですが、(そして神様はそれを許してくださっていたのですが、)今、彼はイエス・キリストの御名のために投獄されることもいとわない真のキリストの弟子、真の信者となったのでした。
 四十数歳の彼の肉体はやがて衰えていくでしょうが、彼の内側に注ぎ込まれた永遠のいのちは衰えることがありませんでした。肉体のいやしは、彼のうちになされた新しい創造のわざの象徴というべきものでした。
 練馬にMさんという人がいました。彼は生まれながら弱視で、マッサージの仕事で生計を立てて生活をしていました。ところが、40代半ば、脳梗塞で倒れてしまいました。気がつくと彼は半身不随になってしまっていました。もはやマッサージの仕事はできないと悲観して、そして練馬の更生施設に生活することになりました。更生施設とはいいますが、実際には更生して自立して行く人はそれまでいなかったそうです。けれども、Mさんはイエス様を信じて洗礼を受けました。信じたときに彼のうちに喜びと力がわいて来ました。そして、なんとか神様の栄光を現すために仕事に就きたいと考えるようになり、実際に積極的に仕事を探して、板橋区にあるS病院の理学療法士として再就職をしました。その後、自立して今は茨城県で仕事をしています。
  私たち小海キリスト教会にも金銀はありません。でも悲観することはありません。私たちは絶望のなかにある人生を希望ある人生に変える、すばらしいイエス・キリストの御名をもっているのです。それがどんなにすばらしいことであるかを、私たちはどれほど認識していたでしょうか。今日のみことばから、つくづく主イエスの御名はすばらしいと感動しました。こんなにすばらしい「ナザレのイエス・キリストの御名」を私たちは持っているのです。ナザレのイエス・キリストの御名を伝えて行こうではありませんか。