苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

感謝をささげてから、パンを

          ヨハネ福音書6章1−15節
           2009年8月23日主日礼拝説教梗概
           齋藤愛希信神学生

「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか。」五千人にも及ぶ男たちを前にして、イエス様は弟子に尋ねられた。ピリポは現実的で、計算高い返答をする。しかし、アンデレは幼い男の子が持って来た「五つのパンと二匹の魚」のわずかな弁当を受け取り、イエス様に差し出す。イエス様はこのお弁当をもって奇跡の給食をなされた。
 冷静に考えれば何の足しにもならない、役にも立たないようなもの。でも、「神様が必要だとおっしゃるなら、わたしにあるものをさし出そう」という素朴な信仰。イエス様はこの子どものように素直な信仰による献げ物を大きく用いてくださって、神としてのわざを人々の心に深く刻んでいかれた。
 イエス様が与えられるパンで、お腹を空かせた男たちがたらふく食べて満腹するという楽しい光景。むしゃむしゃ、「うまい、うまい」。イエス様は彼らが満腹して幸せそうにしているのを、喜んで見ておられた。しかし、人々の満腹した喜びは主への感謝とならず、さらなる欲望へと間違った方向に向かっていった。それは恐ろしい熱狂であった。
 恵みの糧をいただいて、それを主に感謝し主を賛美して生きること。これは神様ご自身が私たちに与えられた喜ばしい「神との交わり」である。神との交わりこそ、いのちであり、主イエスはこのいのちを賜るために地に降られた「いのちのパン」であられる。