アウグスティヌスは、北西アフリカ、ヌミディアのタガステに生まれた。今ではアルジェリアにあたる。この地には、ローマ帝国の手がおよぶ前からベルベル人が住んでおり、父はローマ人だが母モニカはベルベル人だった。ベルベル人というのは、コーカソイド系であるから、色は浅黒いがネグロイドではなく、頭髪は真っ黒で鼻梁高く、彫深く、二重まぶたに黒い瞳である。ことばはベルベル語であり、今も300万人ほどの人口があって、イスラム化されていてもなお独特の文化を持っている。
アウグスティヌスは雄弁術の教師として身を立てようとしていたのであるから、公用語であるラテン語には一般のローマ人よりも精通し自由自在に用いたのであるが、それでも彼にとって母語はベルベル語であってラテン語ではない。アウグスティヌスのうちには都ローマと故郷タガステに対する複雑な心情があっただろうと想像される。ローマに対する強い憧れがあったからこそ、彼はその才を活かして出世を約束する雄弁術に励んだであろうが、同時にローマに対するコンプレックスとひそかな敵意も彼の意識の底にあっただろう。タガステに対しては故郷へのいとおしさと、どこまでいっても自分はほんもののローマ人にはなれないゆえの憎らしさが同居していたのではなかろうか。
とんでもない連想だが、戦中・戦後を通った父の世代の日本人のアメリカ人に対する憧れと憎しみが同居する感情と似ているといえるかもしれない。その世代の方のうちには、見識高い人であるのに、時に米国人を「毛唐」などという下卑たことばで呼ぶ人がいて驚かされることがある。
アウグスティヌスは「名誉ローマ人」であった。こういう観点をもって、アウグスティヌスを注意深く読み直したら、どんなことが見えるだろうか。多くのベルベル人が入っていたドナティストたちとの論争、暴徒ケルクムケリオーネスとなったドナティストたちを官憲に攻撃することを要請せざるをえなかった彼の苦衷はいかなるものだったのか。また、都ローマの陥落をきっかけに書き始めた大著『神の国』からなにか読み取れることがあるだろうか。ヒッポが落城しようとするとき、包囲のなかでアウグスティヌスが悔い改めの涙を流しながら最期の日々をすごした。あの涙にはふるさとのベルベル人たちへの思いがあったのではないか。