苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

古代教会史ノート19 アウグスティヌス(その3)「神の国」 ・・・古代教会史最終回

4.歴史哲学・歴史神学:ローマ略奪と『神の国De civitate dei』

(1) 執筆の背景
 408年、ローマはゴート人に包囲された。アウグスティヌスはその報告を受けて、飢餓と疫病のために、ローマでは埋葬されない死体がごろごろし、人肉を食べるほどに窮していることを知った。410年8月24日、アラリックに率いられたゴート族はついにローマに侵入し、三日間にわたり略奪をほしいままにし、「永遠の都」と言われたローマの一部は焼失さえした。この大惨事に人々は非常に大きな衝撃を受けた。ローマから逃れてきたペラギウスがローマのある貴婦人にあてた手紙にこう言っている。
 「それはつい先頃起こりました。そしてあなたご自身お聞きになったとおりです。世界の主人であるローマが、ゴート人の吹き鳴らすラッパの音と彼らの喚き声に脅えて、震え縮みあがったのです。いったい、貴族たちはどこにいたのでしょう。威厳のある確固として際立った人々はどこにいたのでしょうか。誰も枯れもが畏れに震えてひとかたまりに入り混じっていました。その家の者も悲嘆に暮れ、圧倒的な恐怖が私たちを飲み込んだのでした。奴隷も貴族も一つでした。同じ死の恐怖が私たちの間に蔓延していたのでした。」(ブラウンp15)
 ローマはすでに帝都ではなかったが、なお西方社会の中心であり、帝国の文明全体のシンボルであり、帝国がキリスト教化されても帝国を守護する伝統的な神々が祀られた場所であった。アウグスティヌスは「東方の諸族はローマの没落を哀泣し、地の果てにいたるまで都会と田舎おしなべて、うろたえ、嘆いた。」と述べている。また、ヒエロニムスは「もしローマが滅びるとしたら、何が安泰でいられるというのでしょう。」(ブラウンp15)また、「世界の燈台は消えた。ローマ市の滅亡はやがて全人類の滅亡である。 」と哀しみの言葉を残している。
 ローマが滅んだ理由をローマの伝統主義者たちは、キリスト教のせいだとした。キリスト教がローマの伝統的な神々をないがしろにした結果が、ローマ略奪であると。また、キリスト教徒たちがしばしば兵役を軽んじ忌み嫌ってきたことも非難の理由であった。伝統主義者たちは、共和制時代の古代のローマが理想の道徳的社会であったという「神話」をもって、帝国がキリスト教化されたところに問題があるとキリスト教を批判した。
 永遠不滅の都と信じられていたローマの陥落という時代の転換期に、アウグスティヌスは歴史の問題について思索する。そして、ただローマの歴史のみならず、歴史における国家、正義、平和、それらを包括する神と人類の関係、教会の意義について考究する。

(2) De civitate dei全22巻の構成と内容
  しばらく岩波文庫版『神の国』全5巻は絶版だったが、ごく最近再刊された。すぐ無くなるので、購入されたし。
 アウグスティヌスは、これら異教の伝統主義者に対して立ち上がる。まず413年に1-4巻を公刊。その後13年以上もかけて執筆された。しかし、内容を見ると全体的な構想が当初から明瞭にあったことがわかる。

第一部(序論)異教徒のキリスト教批判へ反論
 第1巻から第5巻
 異教の神々を崇拝すれば人間社会は繁栄し、それを禁じたことがローマ衰亡の理由だとする人々への反論。ローマの衰亡は、キリスト教化される以前からのローマの不道徳が理由である。異教の神々は悪霊であり、悪霊はローマ人に正義も道徳も教えず、かえって悪行を助長した(2:25−27)。キリスト教布教以前、神々が礼拝されていた時代にもすでに、戦争や災害は事実あった(3巻)。
 第6巻―第10巻:異教の神々への礼拝が死後の生の幸福のために有効だとする人々への反論
   異教の神々は地上でも死後の生のためにも無益。悪霊礼拝批判。
 弓削達ローマ帝国の道徳的退廃について、6章「悪徳、不正、浪費、奢侈、美食」とし、「ローマ人は全世界からあらゆる珍味を集めたが、放恣に疲れきった彼らの胃は、それを受け容れることができなくなったのである。ローマ人は『食べるために吐き、吐くために食べているのだ』というセネカの非難は単に過食の贅沢に向けられたものではなかった。全世界からかき集めた富を、奢侈と浪費に蕩尽している不健康な悪徳に対する文明批判なのである。吐いた汚物は、便所か路傍の小便壷に捨てられるか、あるいは道端に投げ捨てられる。不正によってかき集められた富は、こうして無駄に浪費されて行く。その汚物は、飢えた庶民の目の前に、日々投げ出されていたのである。」 ローマ末期の文化のもう一つの特徴は7章「性解放、女性解放、愛欲の文化」である。

第二部(本論)二つの国の展開としての歴史・・・聖書による歴史哲学
第11巻から第14巻:「神の国civitas dei」と「地の国civitas terrae」の起源
  二つの国の起源、展開、終末についての聖書の教え。創造、天使の堕落、人間の創造と堕落、原罪論。
第15巻から第18巻:二つの国の展開してきた道筋
  二つの国と二種の人間の起源、展開。ノアの洪水、アブラハムイスラエルの歴史の意味と預言者
第19巻から第22巻 究極の到達点
  最高善、真の幸福、平和、秩序、正義。最後の審判が問題。神の国の永遠の平和について。

<抜粋>
「このようにして、二種の愛が二つの国をつくったのであった。すなわち、この世の国をつくったのは神を侮るまでになった自己愛amor suiであり、天の国をつくったのは自己を侮るまでになった神への愛amor deiである。一言でいえば、前者は自己自身において誇り、後者は主において誇るのである。前者は人間からほまれを求めるが、後者では、良心の証人であられる神においてもっとも高いほまれを見出すのである。前者は、自己のほまれにおいてその頭を挙げるのであるが、後者は、前者の諸民族においては、その君主たちや、君主たちが隷属させている人々のうちに、支配しようと言う欲情が優勢であるが、後者においては、上に立つ者は、その思慮深い配慮により、そして服従する者は従順に従うことにより、愛において互いに仕えるのである。前者は権力をもつ者において強さを愛し、後者はその神にむかって『主よ、わたしの強さよ、わたしはあなたを愛する』というのである。」(第14巻第28章、私見により服部英次郎訳の一部を修正した『神の愛』→「神への愛」)

「歴史は、あらゆる国家、人間の制度、人間のかかわるすべてのもの、時間と空間のすべてである。歴史のあらゆるところで、神の国と地の国、神への愛と自己愛が入り混じって存在している。ローマ帝国が地の国でもなければ、教会が神の国と同一でもない。…二つの国は不可視的なものとして存在している。(中略)
 人間も人間の集団の歴史も、このふたつの愛の間をさまよっている。この世で、神の愛に基づく国をつくり、正義、平和、秩序を求めることはむずかしい。しかし、過去の過ちを探り、永遠の平和を求めて、地上の生活を続けていく。・・・・・それが人間の歴史である。
 アウグスティヌスは歴史の起源と展開を問題にするだけでなく、歴史の終局から歴史の過去と現在をみつめとらえようとする。・・・・歴史の意味が問われる。」(宮谷)

*私たちは、キリスト者として、教会として歴史の形成にかかわっていかねばならない。今というときにいかに生きるかを知るためには、聖書に歴史の意味を問わなければならない。

5. アウグスティヌスの死とラテン的アフリカの終焉

 429年5月、南イスパニアのゲンセリック率いるヴァンダル族、総勢8万うち兵士2万人がジブラルタル海峡を渡った。彼らはアリウス派キリスト教徒であり、戦の神が自分たちに味方していると信じていた。彼らはいたるところで略奪、暴行、殺人、放火をほしいままにした。ティアパの司教ホノラトゥスはヒッポのアウグスティヌスに手紙を書いた。このようなとき、教会の教師はどうすべきか。蛮族にむなしく殺されるよりは、信徒と教会のために逃避したほうがよいのか。と。アウグスティヌスはすぐ返書を認める。
 「司教はいかなるときにも住民を見捨てたり、教会を捨てるべきではありません。困難と危険が切迫しているときに、司教たるものは人々のために苦悩を背負い、生命を賭して働くべきです。それなにしはキリスト者であることも、キリスト者として生きる意味もありません。たとえ民衆のために殉教することがあっても、愛に生き、愛に死ぬべきです。あなたは、目の前で男が殺され、女が凌辱され、教会が焼き払われ、略奪が行なわれている、蛮族の剣や拷問によって無残に生命を失うより逃げたほうがいい、と言う。そのとき、あなたは恐れている災いよりももっと恐ろしい災い、災いを恐れる怖れに陥っているのです。なぜ神のあわれみによって、怖れに向かい勇敢に戦おうとしないのですか。愛のゆえに死ぬよりも、愛なくして生きるほうがはるかに恐ろしいのです。魂の清さを失うことを、肉体に危害や屈辱を受けるにもまして恐れなさい。真の純潔は心に保たれるもので、暴力によって犯されるものではない。肉体が剣で殺されるよりも、心が悪霊の剣で殺されることを恐れよう。外的建物が焼かれるより、聖霊の宮が滅びることを余計に恐れよう。一時的死でなく、永遠の死の恐ろしさを思うように、人間がひとりでも町にいるかぎり、そこにとどまり、主の力によりその人に罪の許しを語り、慰めと励ましを与えるように努めてください。最後のひとりになるまで愛をもって仕え、愛によって生きてください。どんな危険に遭遇しても、恵み深い神が力と愛を備えてくださることを信じて祈りましょう。後略」(手紙228の大意)
「船長はもちろん、水夫でさえも、船が危険なとき、そんなにたやすく船を見捨てることなどは夢にも思わないものです。」(同書簡)

 そして、430年6月、ヴァンダル族はヒッポを包囲した。人々は飢餓と、恐怖と死の不安の中に過ごさねばならなくなる。「死の状況は絶望的に思われた。死は避難民であふれ、海からは遮断されていた。アウグスティヌスは病気にもかかわらず、信者たちの中にふみとどまることを望んだのであった。かかる試練は当然の罰であると考える。・・・しかし同時に彼は涙を流しながら、慰めの神に試練の軽減に同意されますようにと懇願する。」(クルセル『文学にあらわれたゲルマン大侵入』P136)
 同年8月、アウグスティヌスは熱病に倒れる。床に臥してから死ぬまでの十日間。彼は悔い改めのダビデ詩篇4篇を書き取らせ、それを記した紙がいつも見えるように壁に貼り付けた。そして、これを独りで読んでは、ひっきりなしに痛恨の泣き声をあげて、祈った。430年8月28日、76歳で生涯を閉じる。罪の懺悔と神への讃美以外はなにも口にすることなく、彼は息を引き取った。
 包囲14ヶ月目にヴァンダル族はヒッポになだれ込み、町は占拠され破壊された。アウグスティヌスが40年間かけて築いたものは無に帰した。後に、最期までアウグスティヌスのそばにおり、彼の伝記作家となったポシディウスはいう「しかし、私は、彼から多くを得た人は、彼が、教会で話しているのを、実際に、見たり聴いたりすることができた人であり、とりわけ、彼が人々のあいだで歩んだ生涯のあり方に触れていた人だと思います。」(ポシディウス 、『聖アウグスティヌスの生涯』熊谷賢二訳)

以上。古代教会史。