苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

レビ記

 先の主の日の午後礼拝で出エジプト記を終わり、明日、主の日の午後礼拝から旧約聖書レビ記を順々に読んでいくことにしています。本書は旧約時代における礼拝の儀礼にかんする規定が記されています。もう40年以上も前、学生時代に聖書通読を始めて、初めて読んだときには、なんだこりゃと思いました。全焼のいけにえ、和解のいけにえ、罪のためのいけにえ、穀物のささげものがどうしたこうした、と。レビ記が、ああおもしろいなあと初めて思ったのは、神学生時代、奉仕教会として新約教団青梅キリスト教会の水曜夜の祈り会に出かけるようになってからです。当時、牧師の宮村武夫先生は、レビ記をこの祈り会で話してくださいました。片手に持っておられたのは、ゴードン・ウェナムの註解でしたが、お話はむしろ宮村節でした。

 旧約は影、新約はその本体であるとへブル書は語っています。レビ記に出てくるさまざまのいけにえはイエス・キリストの御生涯、格別、十字架において成就していますから、レビ記を味わって行くことで、主イエスの十字架の深みを知るものとなりたいと思います。また、礼拝者として神を畏れることを学びたいと思います。

正しい手洗いの方法


正しい手洗い方法

 ほとんどの感染症は、手から移るので、結局、手洗いを徹底することが予防策としては、もっとも確実なのだそうです。新型コロナウィルスは石鹸でOKなのだそうです。及ばずながら、当ブログでも紹介しておきます。私はテレビを見ないのですが、こういう手洗いビデオを繰り返し広報すれば、相当、感染防止に実際の効果があると思います。もうしているのかな。

 爪は短く切ること。指輪、時計をはずすこと。石鹸をたっぷりつけて、しわを特にねんいりに洗うことだそうです。

https://www.youtube.com/watch?v=z1OV4gLt14c

 

休校措置の効果は…台湾に学ぶ

「中国ではWHOなどの専門家チームがおこなった調査報告書が公表され、そこでは19歳未満の感染者は全体の2.4%で重症化するケースもわずかな上、聞き取り結果では〈子どもから大人に感染したと話す人はいなかった〉」(NHKニュース2月29日付)

 

「子どもの患者のほとんどは、家庭内において親から感染していますので保護者の方が感染しないこと、感染した方から1-2メートル以上の距離を保つことがお子さんの感染予防につながります。」(日本小児科学会2月27日)

  これらを見ると、インフルエンザの場合と違って、むしろ子供たちを学校やって、家庭での親や祖父母との接触時間を減らす方が感染防止に効果的だということになります。実際、今回の新型コロナ肺炎の感染を制御することに成果を収めている台湾では、最初、一斉休校措置を取りましたが、2月20日に新基準「教員か生徒一人の感染が確認されたら学級閉鎖。二人以上が感染したら休校」を発表し、方針転換しました。世界の国々は台湾に学ぶのが賢明だと思います。

 

 

アライグマ

 大学時代、私にサルトルパスカルのことを教えてくださったのは飯塚勝久先生という方です。そのころジャンセニスムの研究をされていて、後にその論文で博士号を取得されました。ジャンセニスムというのは、パスカルが影響を受けたポール・ロワイヤル修道院の指導思想です。ドイツのヤンセニウスという人物が、アウグスティヌスを研究し、その思想を復興させた思想なので、アウグスティヌス復興主義というふうに言われます。私はそのころから、パスカルを介して、ジャンセニスムアウグスティヌスと近づくことになったわけです。

 そのことは今日は横に置いといて、その飯塚先生がフランス留学時代の友人が、私が先生の研究室に毎週うかがっていた時代に、先生のおうちに訪ねてこられたことがありました。で、先生はそのご友人に関して面白いことをおっしゃいました。「いや****さんは、トイレで大きいのをして出てきても、全然手を洗わないんですよ。だから、家族は、戦々恐々として、あの手であそこをさわった、ここをさわったというふうに目で追うわけです。」と言って笑われました。その人だけではなく、フランス人というのは総じて日本人みたいにせっせと手を洗わないそうです。

 で、少し検索してみたら、日本人みたいにちょっと汚いものにさわったら手を洗う習慣の民族のほうがどうやら珍しいようです。かっこいいイタリア人から見たら、日本人はアライグマみたいに見えるのでしょう。でも、今回のような騒ぎの中では、手洗いの習慣が日本人にあることは、よいことのようです。

 飯塚先生に、昨年出した小さな本を送ろうと思います。

 イタリア人で、汚いものに触ったら、きまって手を洗うという人は33%に過ぎないという調査結果が出た(コリエレ・デッラ・セーラ、8月13日)。67%のイタリア人は、トイレに行ったり、くしゃみをしたり、咳をしたり、動物を触ったりした後で、または食事の前に、規則的に手を洗わないことが明らかになった。

同様の人は、ドイツ人では75%。アメリカ人では69%。この調査は Hygiene Council という機関が8000人を対象として実施したもので、そのうちイタリア人は1000人。

さらに、18歳以下では、トイレに行ったあと手を洗うと答えたものはわずか2%。大卒者では、なぜか手を洗う人が21%で、全体の33%よりも少なくなる。

イタリア人で、ばい菌が手から入ってくると考える人はわずか7%で、イギリス人は28%。実際は、汚い手から細菌が入ってくることが一番可能性として高いのである。(2006年8月20日

 出典  http://senese.cocolog-nifty.com/koukishin/2006/08/post_40ec.html

 

  そういえば、イエス様の弟子たちのある者たちは、食事の前に手を洗わなかったみたいですね。「口から入るものは人を汚さない」とおっしゃったイエス様は食前に手を洗ったのかなあ。

「彼らは、イエスの弟子のうちのある者たちが、汚れた手で、すなわち、洗っていない手でパンを食べているのを見た。」(マルコ7:2)

 

 

今、書いている本

 今、『新・神を愛するための神学講座』(仮題)を書いていて、完成間近です。目次は、こんな感じです。

 

新・神を愛するための神学講座

 

目次

第一章 神学とは

1 神を愛するために

(1)「神学」など、してよいのか?

(2)神が霊でいらっしゃるから

(3)神は無限であるから

(4)神を愛するために

(5)神学は聖書のマニュアル化であってはならない

2 聖書啓示の方法とキリスト

(1)抽象化を許さない聖書啓示の方法

(2)生けるキリストを通して神を知る

3 神学の諸部門と順序と用語

(1)神学の諸部門

(2)叙述の順序

(3)教理・教義・信条について

 

第二章 啓示について

1 啓示は必要不可欠 

2 被造物啓示(一般啓示)

3 「自然神学」について

4 被造物啓示の役割

5 特別啓示とその保存

 

第三章 聖書啓示とその解釈

1 啓示の中心キリスト

2 キリストの二性と聖書の二性

3 聖書の唯一の著者

4 行為啓示とことば啓示

 聖書の霊感

 聖書の完結と普及

 啓示の漸進性

 聖書の権威

 「聖書には誤りがない」とは

10 聖書解釈の決め手

 

章 唯一まことの神

1 自然宗教

(1)多神教

(2)汎神論

2 理神論(デイズム)

3 唯一まことの神

(1)自存性・超越性・絶対性

(2)偶像崇拝の禁止

(3)マモニズムの破壊力

 

章 聖三位一体      

1 神秘ではなく謎として

2 旧約聖書

(1)「われわれ」

(2)知恵・ことば

(3)神の霊

3 新約聖書

(1)御子「神のかたち」

(2)聖霊

(3)父・子・聖霊が一組で

4 父・子・聖霊の関係

(1)三者の関係 

(2)役割の区別

)愛の交わり

(4)神の人格性

 

第六章 聖定と創造  

1 聖定・キリストにある予定のゴール

2 創造

(1)聖定と人間の自由意志

(2)創造と摂理の区別

3 御子は、創造における仲保者

4 無からの創造

5 第一の創造記事

6 被造世界の特徴 ―統一性と多様性と時間

(1)統一性と多様性

(2)時間性・時の螺旋構造

 

第八章 創造記事と進化論

1 オリエント神話と絡めた解釈

2 有神論的進化論

(1)有神論的進化論の利点

(2)有神論的進化論の欠陥

3 特別創造論

(1)神の契約の歴史的序文

(2)創世記一章一節の理解

)「日」(ヨーム)の理解

(4)「種類ごとに」

 

第九章 摂理   

1 聖定・創造・摂理

2 保持

3 統治

4 あらゆるところで

5 摂理と聖化

 

第十章 「神のかたち」のかたちである人間

1 四つの状態

2 従来の「神のかたち」理解

3 「神のかたち」は御子である

4 完成を目指す者として造られた

5 神と隣人との関係

6 地の相続人の資質:知と義と聖

7 地の相続人の務め

 

十一章 人間の構成―外なる人、内なる人とは

1 人間の構成

2 一元論と聖書解釈の前提

3 二分説

4 三分説

(付録)人間の個性と聖霊の働き

 

十二章 人の罪と世界の悲惨

1 神との関係―善悪の知識の木

(1)五つの関係

(2)契約のしるし

(3)木の名の意味

(4)神の御顔を避けて

2 悪魔の誘惑

(1)蛇、竜、この世の神

(2)悪魔の誘惑・暗闇の圧制

3 対自己関係の悲惨

4 夫婦・対人関係の悲惨

5 対被造物関係の悲惨

6 

(1)罪責

(2)原罪

(3)悲惨

7 罪観は神学のアルキメデス

(1)三種の神学体系 

(2)論争でなく神学的議論を

 

第十三章 契約による神の計画の展望

1.創造の契約と三つの定め

2 原福音

(1)「いのち」と「死」

)「女の子孫が悪魔を打つ

)いちじくの葉と恵みの皮衣

3.ノア契約保持の契約

アブラハム契約相続の契約

5.シナイ契約―幕屋と律法の契約

6.ダビデ契約王国の契約

7.キリストにおける契約の成就

 

第十四章 キリスト

1 イエスに関する基本的事実

2 キリストの二性一人格

3 相続と仲介の役割

4 預言・祭司である

 

第十五 贖い

1 対悪魔勝利説

2 満足説  

3 改革者たちは刑罰代理を核心として、悪魔に対する勝利も説いた

(1)刑罰代理説

(2)悪魔に対する勝利

 道徳的感化説

結論

 

十五章 救いの順序 

1 救いとは

(1)福音の目指すこと

(2)罪と悪魔 

2 救いの順序

3 予定

(1)概要 

(2)予定理解の重要点 

(3)召し・キリストとの結合

 

十六章 義認①                                                                                                                                    

1 この世における三つの主な祝福

2 ローマ書における救いの教えの順序

3 義人はいない

4 律法の行いでなく、イエスを信じる信仰によって

5 義認の主語は神

6 義認は法廷的な決定

7 十字架のテオディセー

8 キリスト者の過去・現在・未来

9 キリストの契約に入れられているゆえにこそ

 

第十章 聖化―祝福の適用②

義認と聖化は区別されるが、密接不可分

信徒聖化について自覚的に協力する

キリストとともに死んでよみがえり、「罪」から解放された 

.律法の呪いから解放され、御霊によって仕える

(1)律法の三つの用法

(2)律法からも解放され、御霊によって仕える

.サタンの欺きと奴隷的恐怖

 

第十章 子としての聖化―祝福の適用③

1.義認と聖化の矛盾?

2.ノモスの発見

3.子とする御霊

4.愛は律法の要求を満たす

5.神の家族の一員とされた

.世界の相続人

 

十九章 主の教会

1 教会とは

(1)聖なる公同の教会 

(2)地域教会

2 キリストのからだ

(1)キリストの王権

(2)キリストとの生命的一体性

(3)多様性と一致

(4)成長

3 教会の務めとしるし

(1)キリストと教会の三重職

(2)真の教会のしるし

4 聖礼典

(1)聖礼典とは

(2)バプテスマと聖餐

5 教会政治の方法

 

二十章 教会と俗権

1 俗権は本来、「民の暮らし」の手段

 教会の権能と俗権の権能

 国家の獣化

 申命記立憲主義

 どう生きるべきか

(1)国民の二つの立場

(2)祭司・預言者・王として

 

二十一章 終末(1)

1 終末の教理の略史

2 四つの「終末」

(1)「すでに」 

(2)「いまだ」

(3)神の国からし種のように

(4)彼岸的終末論

3 個人的終末論

(1)

(2)肉体的死の意義の変化

(3)中間状態

(4)復活

 

第二十二章 終末(2)―前兆とその扱い

1 一般的前兆

2 教会に関する前兆

3 再臨直前の前兆と主の再臨

4 審判と王国の完成

5 千年王国について

結び

 

 

手の正しい洗い方

 新型コロナ肺炎は、確実に感染防止効果がある手の正しい洗い方をマスターし、実践しましょう。大体20秒かかるそうです。
 政府が本気で感染を止めたいなら、正しい手洗い映像と効果についてテレビで何度も流せばよいのです。道庁にもお伝えしました。

↓こちら参照

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70746

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銭函・・スキーと海水浴ができる町

 北海道にはスキー場と海水浴場のある銭函という珍しい町がある。今は小樽市の一部だが、小樽と札幌の間という日本海に面した町である。快晴の日には、海の向こうには雪をいただいた増毛山地が見えて美しい。、初めて、銭函という名を聞いた時は、ゼニゲバを思い出して、あんまりイメージが良くなかったのだが、実際に訪ねてみると、なんだか素敵な町である。その町の名は、かつてはニシン漁でたいへん栄えて、無論小樽ほどではないにせよ、ざっくざっくと銭がもうかったからだそうだ。文化というのは、たいてい金持ちの道楽として成立するものだからだろう。銭函は小さな町だが、ちょっと風情を感じさせる古い石蔵や建物がわずかながらが残っている。また夏は海水浴場なので、海の家とかホテルや飲食店がいろいろ並んでいる。

 町の風情は、起伏ある地形が生み出したものでもある。急峻な山が海岸線に迫り、山から海に向かってはみな急坂で、坂の上から海が望める。その山が冬はスキー場になっている。札幌方面から滑りに来る人々がいるのだろう。夏、銭函は北海道で貴重な海水浴場であるが、たいていは水が冷たいのであまり海には入らないとか。みんなたいていテントとバーベキューセットを持って行って、砂浜で焚火をしながら、寒い寒いといいながら食べるのが北海道式海水浴だそうである。かなり無理をした海水浴場だ。

 「スキー場と海水浴場、両方がある町って珍しいなあ」と思っていたら、私の故郷である神戸もそうだったことに気付いた。源氏物語平家物語にも出てくる白砂青松で有名な須磨の海水浴場には、夏になれば多くの水泳客が芋の子を洗うようで、私も小学生のころ私は須磨寺町の自宅から徒歩で出かけたものだ。また高校生のころ、オフシーズンに友人と砂浜を歩きながら話したものである。瀬戸内の海は穏やかで波の音はせせらぎ程度なので、静かに語らうことができるのだった。神戸には冬は標高900メートル超の六甲山にスキー場があるが、これは人工スキー場だった。銭函は無理しての海水浴場であるが、神戸の六甲山は無理してのスキー場だった。

 その銭箱で海辺のそば屋に入った。信州から4年前にやってきた私たちは北海道で、まだおいしいそば屋に出会ったことがないのだ。期待をしたが、出てきたのは手打ちでなく、麺はほとんど小麦がほとんどと思われるような麺であって、そばの香りがしない。ああ、信州のそばが懐かしい。