苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

悪魔の価値観、神の価値観

  16:29ユダの王アサの第三十八年にオムリの子アハブがイスラエルの王となった。オムリの子アハブはサマリヤで二十二年イスラエルを治めた。 16:30オムリの子アハブは彼よりも先にいたすべての者にまさって、主の目の前に悪を行った。
  16:31彼はネバテの子ヤラベアムの罪を行うことを、軽い事とし、シドンびとの王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、行ってバアルに仕え、これを拝んだ。 16:32彼はサマリヤに建てたバアルの宮に、バアルのために祭壇を築いた。 16:33アハブはまたアシラ像を造った。アハブは彼よりも先にいたイスラエルのすべての王にまさってイスラエルの神、主を怒らせることを行った。
  16:34彼の代にベテルびとヒエルはエリコを建てた。彼はその基をすえる時に長子アビラムを失い、その門を立てる時に末の子セグブを失った。主がヌンの子ヨシュアによって言われた言葉のとおりである。(列王記上16:29-34 口語訳)

 北イスラエル王国のアハブ王といえば、炎の預言者エリヤの宿敵であり、悪女イゼベルを娶って、ヤロブアムの子牛崇拝に加えて、バアル、アシュタロテ崇拝を国に持ち込んだ最悪の王である。だが、ウィキペディアは「史実」ということばを用いて、アハブを「有能な王」として描いている。

 「このように史実では、アハブは父オムリの政策を引き継ぎ、イゼベルの助けも借りながら周辺諸国との交流や同盟を通じて国力を増大させ、ユダに影響力を及ぼし、ダマスコに匹敵するほどの大国にまでイスラエルの地位を向上させた有能な王である。」「オムリの代から続いていた首都サマリヤの建設など、アハブは幾つかの町を建てた。」

 こうした評価のちがいはどこから来ているか? ウィキペディアの歴史家は「史実からアハブならびにイスラエル王国を論じる際には、ヤハウェ信仰に基づき記述されている旧約聖書の視点から離れる必要がある。」というが、的はずれである。旧約聖書も同じ史実を書いている。違いは、聖書の歴史家と世俗の歴史家との基本的な価値観の相異にある。
 国力を高めて国の国際的地位を高めて大国とし、大国にふさわしい壮麗な都市建設をすることこそ価値あることであり、国際交流のために外国の偶像の神々を持ち込むこともよしだというのが世俗の歴史家の価値基準である。富国強兵殖産興業!小さいことより大きいこと、貧しいことより富むこと、仕えることより支配すること、真実を犠牲にしても目に見える成果を上げることこそが善だという価値観である。昔も今もこの世の価値観であろう。それは荒野で主イエスを誘惑した悪魔の価値観ではなかろうか。

4:5それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて 4:6言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。 4:7それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」。 4:8イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。 (ルカ4:5-8)

 では、神の価値基準はなにか。聖書は何を善と教えるのか。

 6:8 主はあなたに告げられた。
   人よ。何が良いことなのか。
   【主】は何をあなたに求めておられるのか。
   それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、
   へりくだって
   あなたの神とともに歩むことではないか。
    (ミカ書6:8 新改訳3)



    オトシブミ