苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ダビデの爆裂賛美


6:12しかしダビデ王は、「主が神の箱のゆえに、オベデエドムの家とそのすべての所有を祝福されている」と聞き、ダビデは行って、喜びをもって、神の箱をオベデエドムの家からダビデの町にかき上った。 6:13主の箱をかく者が六歩進んだ時、ダビデは牛と肥えた物を犠牲としてささげた。 6:14そしてダビデは力をきわめて、主の箱の前で踊った。その時ダビデは亜麻布のエポデをつけていた。 6:15こうしてダビデイスラエルの全家とは、喜びの叫びと角笛の音をもって、神の箱をかき上った。
6:16主の箱がダビデの町にはいった時、サウルの娘ミカルは窓からながめ、ダビデ王が主の前に舞い踊るのを見て、心のうちにダビデをさげすんだ。
(中略)
6:20ダビデが家族を祝福しようとして帰ってきた時、サウルの娘ミカルはダビデを出迎えて言った、「きょうイスラエルの王はなんと威厳のあったことでしょう。いたずら者が、恥も知らず、その身を現すように、きょう家来たちのはしためらの前に自分の身を現されました」。 6:21ダビデはミカルに言った、「あなたの父よりも、またその全家よりも、むしろわたしを選んで、主の民イスラエルの君とせられた主の前に踊ったのだ。わたしはまた主の前に踊るであろう。 6:22わたしはこれよりももっと軽んじられるようにしよう。そしてあなたの目には卑しめられるであろう。しかしわたしは、あなたがさきに言った、はしためたちに誉を得るであろう」。 6:23こうしてサウルの娘ミカルは死ぬ日まで子供がなかった。    
                  2サムエル6:20−3


 神の箱を迎えてダビデは狂喜乱舞した。その賛美の姿を見た妻ミカルは、夫をさげすんだ。王女として育った彼女の目には、夫の姿は「お下品」に映ったのである。その結果としてサムエル記の記者は、彼女が子を生めなくなったと記している。
 人が神の前に率直に喜びや感謝を表わし賛美しているのを、洗練されていないとか、教会の伝統にそぐわないとか、お下品だと軽々にさげすんではいけない。そういう教会は、霊的な意味で子を産めなくなってしまう。伝道できなくなってしまう。
 かつて「伝道熱心なだけで神学のない連中だ」と、福音派は主流派から軽蔑された。主流派は霊的活力を失っていった。その後、福音派は神学を整え伝統に学んで上品になったが、下手をすると賑やかに賛美するペンテコスタルな教会をかつて自分が見られたような視線で見るようになっているかもしれない。これは危険である。
 ここ数年だろうか、浜名湖バイブルキャンプで爆裂賛美(略してバクサン)というのがなされている。飛んだりはねたり、渦のように駆け回ったりして、若者たちが賛美をする。初めて見たときびっくりした。筆者は腰がギクッとなったので、若い人たちと同じように踊り賛美することはできなかったけれど、「お下品だこと」などと評して、ミカルのようなことにだけはなってはいけないなと思った。全身全霊をもって主を賛美すること、それは単純にすばらしいことなのだ。もちろん、コリント書に書かれているように、輪に入れない人々への配慮も必要かもしれないけれど。