今朝は、聖書通読で第一サムエル15章を読みました。ここには、神様は悔やむのか、悔やまないのかという不思議な記述があります。みなさんは、どう理解していますか。
11 「わたし は サウル を 王 に 任じ た こと を 悔やむ。」
29 「実に、 イスラエル の 栄光 で ある 方 は、 偽る こと も なく、 悔やむ こと も ない。 この 方 は 人間 では ない ので、 悔やむ こと が ない。」
35 主 も、 サウル を イスラエル の 王 と し た こと を 悔やま れ た。
アウグスティヌスが『三位一体論』でカルヴァンが『綱要』でしている解釈法からいえば、「神は悔やまない」というのは客観的に正しい命題であり、「神が悔やむ」という表現は神がご自分を、人間の理解力に適合させされた表現なのだということになるのでしょう。
私としては、一見矛盾と思えることを、そのままに書いてあるという聖書の啓示のありかたに興味があります。