苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

「葦原」のこと

 ちょうど30年前、東京基督神学校1年生だったときの二学期、毎週月曜日夕食後に、数名の友人たちと有志の祈祷会を始めた。全国の田舎で苦闘している教会と連絡をとって、祈祷課題を寄せていただいて祈るという会である。「日本福音土着化祈祷会『葦原』」と名づけた。毎週月曜の祈り会のほか、一年に二回ほど、特に日本に福音の土着というテーマで勉強会や講演会を開いた。夏期伝道にはそうして連絡を取った田舎の教会に出かけ、卒業の春には、能登半島の教会を訪問したこともあった。
 神学校卒業にともない、メンバーは長野、石川、岐阜など全国に散っていったが、筆者が最初に遣わされた地は練馬での宣教師との働きであった。その後は、日本福音土着化研究会「葦原」と名称を改めて、年に二回、福音土着を主題にして勉強会を十年余開き続けた。数年たってとなりの板橋の教会でよい働きをしていた「葦原」の友人は、故郷群馬県吾妻の教会が無牧になりそうな状況にあって、同盟基督教団を辞して立って行った。
 そうして数年たったころ、筆者のうちに、キリストの福音を聞く機会も、教会に行くチャンスさえない方たちに福音を伝えるために、そういう地に赴きたい、赴かねばならないというやむにやまれぬ願いが湧き上がってきた。二三年祈った。その結果、許されて導かれたのがここ信州の南佐久郡小海町である。町の開発公社から借家をして集会を始めたのが、今から17年前である。小海町は、八千穂村・南牧村北相木村南相木村・川上村とともに南佐久郡を成している。八千穂村は数年前、佐久町といっしょになって佐久穂町と改称した。この広い南佐久郡に、教会は小海キリスト教会のみである。
 下に掲げるのは、若い日、神学生たちが額を寄せ合って書いた「葦原趣意書」である。肩をいからせたような生硬な文章で気恥ずかしいが、記念としてここに置いておく。
 

   日本福音土着化祈祷会「葦原」趣意書
                                           1983年3月7日
 天地創造の神は、みこころのままに私共のうちに働かれる神であると知ることは、志を持って何かを為さんとする者にとって、この上ない励ましであります。今私共実に小さな集まりではありますが、日本に於ける福音宣教、とりわけ「農村」と称される地域への宣教のために祈りと学びを行なって行きたいと志し、日本福音土着化祈祷会「葦原」を結成いたしました。
 以下、この会の趣意を述べさせていただき、御賛同、御同労を仰ぎたく存じます。

                                 趣意

 この会が、特に「農村」宣教に主眼を置きながら、日本福音土着化祈祷会と称するのは、「農村」への取り組みが日本という土壌に福音が根を下ろし結実することを望む上で、欠くことのできない視点であると考えるからです。
 「農村」とは、古来、葦原開墾以来の日本の集約農業の中で培われ、さらに幕藩体制下に再編強化された共同体規制が、現在なお精神的かつ因習的に脈々と息づいているような地域と規定します。(この共同体規制は広く日本人の精神構造の「根」となっているのではないでしょうか)かかる意味において「農村」とは産業構造と精神構造のあいまった文化の問題であると言えましょう。
 明治期以来、教会はこの「農村」への宣教の再三の試みにも拘わらず浸透しきれないまま、むしろ、そこから離れるということで生き延びてきたのではないでしょうか。特に戦後の高度経済成長期を通して、人口が都市に集中してきたのに伴い、教会の「農村」離れも著しくなって来たと思われます。
 しかしながら、「農村」を離れ、信徒数を獲得しやすいところで形成された教会は、伝統的な日本の社会の中にあって、孤立とまでは言わないまでも不自然な隔たりを作り出しているのではないでしょうか。
 そればかりか、世の能率主義は教会内部をもむしばみ、会員数が教会の評価の最大基準とされるような風潮なきにしもあらずです。こうした状況下で「すべての造られたもの」を目指すべき教会の福音宣教への目は「農村」への幻を見失ってきているのではないかと案ずるものです。あるいは世界宣教の視野の必要が叫ばれ、海外への宣教師が多くの祈りに支えられて、益々その働きを広げようとしているなかで、一方「農村」への宣教は忘れられて行くばかりではないか・・・そんな懸念をも覚えずにはおられません。
 私共の試みは、「都市」中心の宣教論のみ横行する現状に対する小さなアンチテーゼでありますが、これは聖なる公同教会の形成の一端をになう日本の教会の宣教のために決して無意味なことではないと信じます。
 私共福音宣教の業に召された者として、日本に於けるより望ましい姿での福音の土着を考え、「農村」宣教への祈祷の同労者となりたく願うものです。

                              日本福音土着化祈祷会「葦原」一同

 当時と現在の心境の変化をいうならば、当時は、教会成長論がブームの「都会中心の宣教論」に反発を感じていたのだが、今は、都市であれ田舎であれ、伝道者としては主が召してくださったと信じる地でご奉仕することが許されるならば、これほど幸せなことはないと思うようになったということだろうか。