苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

都市と過疎の原発設置自治体

 首相や経済産業相にいくら手紙を書いても、原子力安全保安院に90万筆の署名を届けても、彼らは一向に原発を止める決断をしない。デモをやっても、NHKは1500人のデモについては報道しても、その十倍の人が集まったデモは報道しない。
 そこで、原発設置についての法律はどうなっているのかと調べてみた。検索したら「原子力発電所に係わる法規法令」を見つけた。・・・やはり、原発を設置した自治体がいやだといえば、原発は設置できないのだ。国と電力会社は、過疎で明日その村を財政的に成り立たせていくことがムリというところを狙い撃ちにしてきた。
 「村は赤字財政でたいへんでしょう。若者は仕事がなくて東京に出て行ってしまう。税収がない。ご同情申し上げます。・・・でももし原発を設置させていただければ、毎年うん億円の補助が出ますよ。デラックスな老人ホームも建てられるし、小学校の修学旅行だって海外旅行。温泉施設も作りましょう。各家にも家族一人頭ウン万円の感謝のしるしを毎年差し上げますよ。原発で雇用は生み出されて、町は昔の繁栄を取り戻します。・・・え?放射能がこわい?まったく問題ありません。原発は100パーセント安全です。」と、こんな具合に。
 本気で原発が100パーセント安全だなんて信じる人はいないだろうけど、いつ来るかわからない地震原発が壊れることを心配しているより、目の前のカネに飛びつかざるを得ないほど過疎の村は経済的に困窮していたのだ。最初はうしろめたさを感じながら、恐る恐るもらったカネが、そのうち当たり前になってしまった。町役場はデラックスになり、老人ホームができていく。そして、気が付いたらそのお金なしには自治体の雇用も財政も成り立たなくなっている。もはや自分の足で立てなくなった自治体は、交付金が出なくなる時期が来ると、原子炉など一つだろうと三つだろうと壊れたら同じことだと半ば破れかぶれで今度は自ら原子炉を増設してくれと頼むようになる。

 「原発から遠い地域の都市住民がデモをして、『原発をやめろ』という動機はなんでしょう?放射能が飛んできて、自分たちの飲む水、自分たちの吸う空気、自分たちの食べ物を汚すからでしょう。原発を置いた地元住民の危険と生活を思いやって、原発を止めるべきだという都市住民がいるでしょうか? いつ来るかわからない危険のことは考えているかもしれませんが、明日の生活は考えていないでしょう。だから原発の町で反原発コンサートなどしても地元住民はしらけてしまうんです。
 でも、政府と原発屋は、少なくとも過疎の自治体をなんとか助けてやろうとカネを持ってくるんですよ。そりゃあ下心は自分たちの利益ですが。私は原発に反対ですが、そういう自治体の苦境を解決しないと、この問題は解決できません。」
 先日、このことを友人のO牧師に指摘されて、筆者は過疎地に住んでいるが、動機は似たようなものだ、ほんとうに言われるとおりだと思った。どうしたらいいのか?昨夜「ずっと嘘だった」を聞きながら考えて、ひとつのアイデアを思いついた。
 都市住民が、本気で原発廃止を望むならば、過疎の実情のあまり原発を設置した自治体を具体的に助けることだ。たとえば、東京都は御前崎市姉妹都市提携をして、原発なしても御前崎市がやっていけるように具体的にを助けるのだ。
 数年後やってくるM8.4の浜岡原発直下の東海地震は、確実に御前崎市浜岡原発を破壊する。浜岡原発地震メルトダウン放射能が噴出したら、東京は放射能雲に連日覆われて水源地も農地もが汚され生活はできなくなることは予定されたことである。神奈川・埼玉・千葉もそうだが、特に東京の経済力や人的資源をもってすれば、原発屋に代わって御前崎市を助けることは容易なことではなかろうか。浜岡原発は中電であって、東電ではないだろう?って。その通りだが、そんなこと言ってる場合ではない。
 まず、東京都知事が腰を低くして御前崎市の人々の声を聞くことだ。なにが本当の助けになるのか。なんで困っているのか。東京や横浜が御前崎市と姉妹提携をして、財政支援をしたり、あるいはたとえば工場誘致の手伝いなどできれば、御前崎市だって危険な原発から手を引くことができるのではなかろうか。新潟県柏崎市も同じことである。
 だが都知事原発推進者と来ているから、ことはうまく運びそうにない。
 
 関西でいえば、福井県には実に美しい若狭湾敦賀湾に無粋な14基ものおびただしい恐怖の原発群がある。そして敦賀高速増殖炉もんじゅは昨年夏の事故以来、停止したままである。炉内がどうなっているかわからないが、冷却材がナトリウムなので空気に触れると爆発するから開くこともできない。だが地震の揺れがやってきたら、もんじゅがどうなるか見当も付かない状態にある。北西の風の季節なら、関西全体を居住不能地域にするのに十二分な原発群である。これらはやはり、明日が見えない過疎の自治体に建てられてきた。
 こういう原発設置自治体に対して、たとえば神戸や大阪や京都が姉妹提携を申しでる。そして、経済的・人的に交流し援助をはかるのだ。
 ことがらは、毎年高校生たちを都会に送り出して常に存亡の危機にある田舎の教会と、都会の教会の実情に似ていなくもない。
・・・あまり時間はなさそうである。