苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

朝岡茂先生

 一九七八年春、筆者は進学のため神戸から茨城県に転じ、近くにあった土浦めぐみ教会に通うようになった。お世話になったのは朝岡茂牧師。燃えさかる宣教の情熱と、大胆で積極的な指導力と、緻密な知性とを備えた、ハンサムで体も胆力も大きな器だった。また、曲がったことが大嫌いで、人の顔を恐れず、だが涙もろい先生だった。今回は、先生が話されたことの記憶をたどりながら、若い日の朝岡茂先生がどんなふうにキリストに出会われたかを紹介したい。(『通信小海』189号から)

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 朝岡茂先生は一九三六年朝鮮半島京城で生まれた。父親は、毎年正月になると市の警察署長があいさつに来るような総督府の役人で、一人息子の茂少年は小学生なのにカメラが趣味で、自分のボートに友だちを乗せて舟遊びをするのが楽しみだったというふうに、経済的には何不自由なく育った。
 けれども、茂少年の家庭は暗かった。父が母を愛してはいなかったからである。母親は、若い日に植村正久の薫陶を受けて洗礼を受けたクリスチャンだったが、周囲のすすめる見合い話を断われずに、神を畏れない男性と結婚したのだった。つらい日々の中で母は一粒種の赤ん坊茂を抱いて、神に祈ったという。「神さま、この子はあなたにおささげします。あなたのご栄光のためにお用いください。」
 やがて日本は戦争に敗れ、満州朝鮮半島の日本人は全てを失って着の身着のままで引き上げ船に乗った。やがて茂少年の乗った船が長崎港に近づいた。初めて見る祖国の山々は、赤茶けた朝鮮半島の山々と違って緑が美しく目に沁みた。
 帰国してまもなく父と母は離別し、茂少年を抱えた母は京都の親戚に身を寄せ、しばらくをそこで過ごすことになった。けれども、食卓でおばが自分によそってくれるスイトンが、自分の子たちによそうのより少ないのではないかという表情で見ているわが子を見て、母親は決心した。『このままでは茂はいじましい人間になってしまう。たとえ貧しくとも、私が働いて、この手で茂を育てよう。』
 こうして茂少年は母親の実家が近い茨城県土浦市の小さな家に、母ひとり子ひとりで住むようになった。母親は勤めに出て茂少年を育てた。
 やがて、茂少年は中学生になる。茂少年は学業優秀だったが、まもなく胸を患ってしまい、病院と学校と家の三つをぐるぐる回る生活が始まった。さらに病は重くなり、二年生・三年生のほとんどは床についたままで過ごしたが、なんとか卒業し、土浦一高に入った。けれど、やはりほとんどの日々を自宅か療養所の病床で過ごしたのだった。結核は不治の病とされた時代のことである。療養所のおとなたちの生活はすさんでいた。茂青年もせっかく見舞いにもらった貴重な鶏卵をばくちですってしまったり、看護婦の目をごまかして花町にギター抱えて流しをして小遣い稼ぎをしたこともあった。「酒は涙かため息か・・・」が茂青年のオハコだった。
 小康を得て自宅に帰っていた、ある雪の朝だった。いつになく調子がよいので、よし雀を撃って、雀だしのうどんを作って母を喜ばせてやろうと茂青年は考えた。雪を踏みしめて行くと、木の枝に羽を膨らませて丸まるとした寒雀たちが止まっている。またたくまに三・四羽打ち落とした。ところがその時ググッと胸の底から熱いものがこみあげてきて、雪の上に吐き出した。喀血だった。それから数日間、毎日、洗面器に血を吐き続けた。これほどの血が、このやせたからだの中のどこにあるのかと思うほどに血を吐いた。茂青年はすっかり衰弱しきってしまった。寝返りをうつこともままならず、起き上がることもできない。そのころの茂青年の最大の望みは、床の上にすわって食事ができたらということだったという。時折襲う激しい咳にからだをよじらせながら、青年は横たわっていた。
 朝起きると、母が顔を拭いてくれ、食事を口に運んでくれる。下の世話が終わると、まもなく母は仕事に出かけて行き、茂青年は独り天井のふしあなを数える生活であった。そんな日々のなかで茂青年は考えた。これからどうしたものか。自分は鼻っ柱の強い人間で、からだも大きく自信満々で生きてきたが、肺に巣食うちっぽけな結核菌にしてやられてどうにもならない。自分には限界がある。自分は科学を信頼し、医学を信じて医者にかかったが、医師も手の施しようがないという。科学にも限界があることを認めざるをえなかった。でも母の愛がある。人間の愛のなかでもっとも尊いといわれる母の愛。母はきょうも自分の回復を願って働き、懸命に看護をしてくれる。けれども、その母の愛にも、この病を癒すことはできない。自分には限界があり、科学にも限界があり、母の愛にも限界がある。茂青年は、その事実を認めざるを得なかった。
 そのとき、ふと頭に浮かんだことがあった。『そういえば、**ちゃんが持ってきてくれた聖書があったなあ。』その聖書は、いとこが持ってきてくれた二冊目の聖書だった。一冊目は、「ばかばかしい、科学の時代に、神やキリストになど頼れるものか」と言って、不埒にもそのインディアンペーパーを刻みたばこの巻紙にしてしまったのである。しかし、それでももう一冊、いとこは胸を病んで自暴自棄な生活をしている茂青年に聖書をもってきてくれたのだった。二冊目の聖書は、たくさんの岩波文庫がつめこまれたいくつかのリンゴ箱のどれかに放り込んだままになっているはずだった。療養生活の中で、茂青年は当時出版されていた岩波文庫は白帯以外全て読破してしまっていた。
 夕刻になり仕事を終えた母が帰ってきた。夕食の準備をする母の背中が、あおむけになった茂青年の手鏡に映っていた。茂青年は思い切って言った。「かあさん。たしかリンゴ箱の中に**ちゃんがもって来てくれた聖書があるはずなんだけど・・・。」
 こうして茂青年は聖書を手にした。それは末尾に旧約聖書詩篇が付いた新約聖書だったが、衰弱しきった彼の手で支えて読むには重かった。それで横を向いて、表紙を下にして、後ろに付いた詩篇から少しずつ読み始めた。読み進めて何日目だったろうか、詩篇第四十六篇まできたときだった。
「神はわれらの避け所また力なり
 なやめるときのいと近き助けなり」
 このことばが、すーっと心に入ってきた。ふしぎな感覚だった。それは単なる活字ではなく、生ける神のことばとして入ってきたのである。今、生ける神が自分に語りかけていらっしゃることばとして聞こえてきたのである。茂青年は思った。自分は人に頼ることを嫌い、自分の力で生きられると思っていたが、この病にうち倒されて自分の限界を知った。医学という科学に信頼しようと思ったが、科学にも限界があることを知った。最後に母の愛に頼ろうと思ったが、母の愛にも結核の息子をいやす力はないことを知った。けれども、神が自分の力となってくださり、この悩みの淵にいる自分にいとも近い助けであるという。それならば、この神に賭けて見よう。
 こうして朝岡茂青年は、神をその心に受け入れた。神を心に迎え入れたとき、なにかが茂青年のうちに起こった。思いがけない喜びが湧いてきたのである。暗闇に光が差し込んできた。いらだっていた心に平安が訪れた。茂青年は、その日から毎日毎日むさぼるように聖書を読んだ。繰り返し繰り返し聖書を読んだ。自分で読んでいるだけでは十分ではないと感じて、当時、ラジオで放送されていた聖書講座を聞くようになり、また仙台に本部がある聖書通信講座というものがあるのを知って学ぶようにもなった。
 今まで、病床にあって死ぬことばかり考えていたものが、聖書を読み始めて救いを確信し、その喜びを味わうちに、いつのまにかからだのほうも快方に向かっていた。布団の上に座って、食事をとることもできるようになった。こうして茂青年は手術をめざして入院することができるからだになった。それまでは、あまりにも弱りすぎていてからだをむりに動かすと肺がつぶれてしまうほどだったから、入院も手術もできなかったのである。入院の日、ずっと動かすことができなかった布団を上げるとたたみが腐っていた。
 茂青年は入院すると、病院に慰問に訪れていたジェラルド・ウィンタースという宣教師の主催する聖書研究会に出席するようになった。からだはなお病んでいたけれど、心は救いの喜びにあふれていたし、ひとりでも多くの人にこのすばらしい救いを伝えたいという思いが燃えていたのである。まもなく茂青年は、その聖書研究会のリーダーをするようになっていった。
 こうして心は健やかになり体力も徐々に回復して、右肺上葉切除という大きな手術をすることになった。だが手術の前にもっとたいせつなことがあった。それは、イエス・キリストを信じる信仰告白をし、そのあかしとしての洗礼を受けることだった。洗礼を前に、茂青年は宣教師に話した。
「ウィンタース先生。私は、神などいるものかと傲慢このうえない生き方をし、病の中でほとんど死にかけていました。こんな私を愛し、こんな私のためにいのちまで投げ出してくださったイエス様のことを思うと、もはやこれからは自分のために生きていったのでは申し訳ないです。私は洗礼を受けて、手術が成功したら、自分の人生をイエスさまにお捧げしてイエス様の福音のためにお役に立つ仕事をして生きたいのです。」
 すると宣教師は言った。
「シゲルさん。それはケンシンといいます。すばらしいことです!」
 こうして茂青年は、洗礼を受けた。キリスト教の洗礼の形式は、頭に水をかける方式と、ザブンと全身水に浸る方式があるが、ウィンタース宣教師が授けてくれたのはザブン方式だった。水から上がると、なんだかまったく新しくされた気分になり、耳に入った水をトントンと片足ではねて出しながら、朝岡茂青年の心は救いの喜びにあふれていた。