著者朝岡勝牧師とは、彼が小学2年生、私が大学1年生の頃からの付き合いです。彼の父、朝岡茂牧師が牧する土浦めぐみ教会で、私は育てられました。私が通った頃、彼はギャングエイジ、いたずら盛りの頃でした。それから30年ほどたって同盟基督教団理事会でいっしょに奉仕したのは10年間ほどでしょうか。今ではお互い白髪交じりになってしまいました。
ある日、高津の暗闇坂にあった牧師館でお便所を借りたら、男子便器のところに、「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」(ヨシュア記1:9)と貼紙がありました。茂先生にうかがったら、怖がりの勝君が粗相をしないためなのだと笑っていらっしゃいました。
あの男子便器の前に貼られていたヨシュア1章9節のことを思うと、ぼくは不思議でならなかったんです。あの怖がりの勝少年が、どこでどのようにして、困っている人を見つけたら、いのちの危険を顧みず救出に駆け出す勇敢な牧師に変貌したんだろう、と。この本を読んでわかりました。ヨシュア1:9,そして「主がついてれば怖くはないと 聖書のうちに書いてあります」なんですね。
本書には上記の話題のほか著者が自身の青少年期を振り返りつつ、9つのエッセーが平明で味わい深い文章でつづられています。青年時代の劣等感、悩み、転機となった御言葉との出会いなど、次々に読み進めないではいられない、でも、読み終わってしまうのがもったいないような珠玉のエッセー集です。
異教徒の家庭に育って、特に人生がどうのと考えることもせずに、ただモリアオガエルと勉強に集中してその他のことは排除して高校三年夏までを過ごしてしまった私の十代とはずいぶん違うなあ、と感じました。勝青年を育てた聖書とご両親の祈りと松原湖バイブルキャンプでの奉仕者たちとの出会い、私にはそういうことがまるでなかったから。
若者たちになんとかしてキリストにある信と生を伝えたいという情熱が、ユーモアとまじめさのバランスをもって記された内容はもちろんのこと、装丁も、分量も、若い人に「きみも読んでみたら」と奨めやすい。今、妻が読んでいます。私も妻ももう若くはありませんが。