苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

聖書釈義の二つの原則

 聖書釈義には、相反するように見える二つの原則がある。第一は、聖書記者が第一の読者に伝えようとしたことを読み取ることに努めることである。これはほかの人間の書いた書物においても同じことが言える。第二は、聖書全体は聖霊によって導かれて記されたものであるから、不明瞭な聖書箇所については(たとい聖書記者の意図を超えていても)、類似の文脈で語られていてより意味が明瞭な聖書箇所を参照して釈義するということである。この第二の方法を「信仰の類比」とか「聖書の類比」という。第二の原則は聖書にのみ適用されうる解釈原則である。合理主義者は第一の原則のみを正当とするが、聖書自体は二つの原則が適用されることを求めている。なぜなら、これら二つの聖書解釈の原則は、相反しているように見えるが、聖書の性格にぴったりだからである。神が聖書を霊感するにあたって用いた方法にかなった釈義原則なのである。聖霊は、それぞれの聖書記者の才能、置かれた文化、状況などあらゆるものを用いて聖書各巻を記述させた。